松尾山
吉祥寺
真言宗醍醐派
大野川流域二十八ヶ所不動霊場第20番
歴史
境内の案内板の内容を下に記す。
松尾山吉祥寺 案内 宗派:真言宗醍醐派・本尊:薬師如来
吉祥寺はもと、松尾山広福寺と呼ばれた。 大同元年(808)空海が唐から帰朝したときに開いた寺であるといわれる。
本寺の薬師如来・不動明王・大威徳明王は広福寺の講堂に安置していた仏像である。 広福寺は中心の建物である講堂、11の房舎ママ・身長2.5mほどの仁王像のある山門をもつ大寺院であった。 鎌倉時代には三重郷内はもちろん鎌倉幕府から派遣された三重郷地頭の信仰をあつめた。
天正14年(1586)10月、薩摩郡から侵入した島津家久の本陣となり、天正15年3月、退却のとき放火され灰燼に帰した。 幸い講堂に安置した仏像は火難をまぬがれたが、山門の仁王像は首部が焼け残った。
文禄2年(1593)再興。わずかに薬師堂を建立して仏像を安置した。 広福寺は江戸時代後期までその寺名を残したが、のち吉祥寺と寺号を改めた。
平成2年(1990)3月 三重町教育委員会
ひとくちメモ
未参拝の為、未稿。