海寶山
崇福寺
[崇福禅寺・うえん寺]
臨済宗妙心寺派
★☆☆
別府西国三十三観音霊場第2番
- 住所・電話
- 〒874-0947 大分県別府市浜脇2丁目2-14 標高:18.1m 地図 GMAP 0977-23-0940
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歴史
境内の案内板の内容を下に記す。
崇福寺(通称うえん寺)御本尊は釈迦如来坐像(約60センチ)
文永3年(1266)に「神大和守政長の建立で不肖正受禅師の開基」と 「朝見神社[1]伝」は記している。
文和3年(1356)に「元高禅師に到り赤野城主雄城若狭守が之ヲ再建ス依ツテ中興トス」と「豊前国志」は伝えている。
寛永年間(1624-1643)に「堂宇は破壊され寺勢は衰退したが竺和尚が再建し、 当時は今の地に距ること東500-600歩の渓間にあり、 今地字を伽藍と称する其遺跡なり」と「豊前国志」は伝えている。 現在地に移転したのは安永年間(1772-1780)で 「第8世梅室和尚の頃」と「村誌」は記している。
江戸後期に京都・東福寺貫主の諦州和尚は浜脇の出身で崇福寺で剃髪した。 「諦州和尚に下賜された紫衣はこの寺に大切に保存されている。」
崇福寺の通称「うえん寺」とは、「上ん寺」と書くようである。 これは標準語だと「上の寺」の事であろう。 「したん寺」は西隣りにある無量山 長覚寺の事。
ひとくちメモ
崇福寺はJR日豊本線東別府駅にほど近い、丘の中腹に伽藍を構えている。 眼下には日豊本線の線路が通っている。
間口8間の本堂。この本堂はかなりの年歴を感じるものとなっている。 梵鐘の寸法は普段作者が見るものより一回り大きいものである。 梵鐘の銘を確認しそこなったが、かなり古いものではなかろうか?
本堂に向って左手には、裏山の墓地に通じる坂道がある。 広大な墓地の所々に江戸期の銘の入った石仏を観ることができる。
境内からは180度以上の視野で別府市街地、西方の山々を眺めることができる。
写真
本堂 庫裏玄関 本堂の扁額 鐘楼 本堂脇の石仏 本堂脇の石仏群 本堂脇の石仏群 墓地登り口脇の石仏群 境内風景 山門 墓地入口の石灯籠(天保12年銘) 甍 - 裏手の墓地より撮影 墓地にある石仏(寛政・文政銘) 本堂前の風景 参道(表参道は石段ではなく左手の坂道) 梵鐘
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