heritage 清寧山(せいねいざん) 観海寺(かんかいじ) [観海禅寺] 曹洞宗 ★☆☆ 仁聞 別府西国三十三観音霊場第12番 九州四十九院薬師霊場第12番札所

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〒874-0822 大分県別府市観海寺2449   標高:208.4m 地図 GMAP 0977-23-2639  ホームページ
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歴史

伊藤氏メモ養老2年(718)仁聞(にんもん)菩薩が当地に温泉を開き、薬師如来を刻して安置したのが当寺の始まりという。

その後、千有余年の間に再三兵火に罹り、明治維新後に廃寺となり僅かに本堂を残すのみとなった。昭和13年(1938)阪急電鉄前社長上田寧(宇佐市出身)が、高階瓏仙禅師を拝請・再興開山とし、中興開基した。本尊には薬師如来を安置した。(『九州四十九院薬師巡礼』などより)()   

ひとくちメモ

観海寺は別府市西部に聳える船原山の中腹に伽藍を構えている。 周辺の山の中のいたる所から湯けむりが噴き出している。 境内には多数の石仏・宝篋印塔などがある。

山門にあたる所には両サイドに「慈光堂」がある。 案内板によれば、一生独身で過ごした人・夫婦二人で子供のない人など、 後継者が無くお墓を建てても、数年後には無縁墓になる心配の人が、宗教・宗派に関係なく入堂できるという。 建物自体が墓であるという。

近代的なホテルが立ち並ぶ所の脇に大きな赤い橋がある。ここが参道口。 そこから、曲がりくねった坂道の参道を300mほど登ると到着する。

寺号の「観海寺」。「海を観る寺」という意味か? 残念ながら、現在はその下手に大規模の温泉施設の建物・マンションが立ち並び境内から別府湾はほとんど眺めることができない。

二度目の参拝。 本堂前に秋葉堂が建てられていました。

坂道の参道の途中には、薬師湯(本ページ下部)・ 復興泉(本ページ下部)などがある。

写真

  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 慈光堂
    慈光堂 
  • 秋葉堂
    秋葉堂 
  • 表札石
    表札石 
  • 境内の石仏群
    境内の石仏群 
  • 境内の石仏群
    境内の石仏群 
  • 観音像 - 本堂前
    観音像 - 本堂前 
  • 慈光堂脇の石地蔵
    慈光堂脇の石地蔵 
  • 参道口(朝見川に架かる観海寺橋)
    参道口(朝見川に架かる観海寺橋) 
  • 参道口の観海寺橋 - 横から撮影
    参道口の観海寺橋 - 横から撮影 
  • 参道
    参道 
  • 本堂に繋がれたワンちゃん
    本堂に繋がれたワンちゃん 

薬師湯

  • 薬師湯内部
    薬師湯内部 
  • 全景
    全景 

薬師湯の内部には、石製の厨子の中に薬師如来が鎮座している。 その厨子の下には、こんこんとお湯が湧き出ている。 どうやら、地域の方々のお湯汲み場となっているようである。 お湯はかなり熱い。(案内板によれば54°Cとのこと) 下に案内板の内容をそのまま記載する。

観海寺温泉・薬師湯の由来

観海温泉は西暦713年国東地域六郷満山開祖と言われる仁聞菩薩によって開かれたと伝えられており、 この湯を薬師湯と称します。

薬師湯は建久元年(1190)後白河法皇が病気で伏せられた時、 ある夜法皇御神夢の中で「豊前国・速見の里鶴見山の東南に温泉煙濠々にして立ち昇る所あり、これに浴せよ」 と告げられ当観海寺温泉を探させて、ご入浴されたと記録に残されております。

また、後白河法皇の第3皇女、式子内親王も薬師湯を(たしな)み浴し生涯をこの地で過ごされた程、 飲湯に適し、このお湯で、コーヒー等をたてますと、独特の風味が増し、一層おいしく飲むことができます。


復興泉

  • 復興泉の扁額
    復興泉の扁額 
  • 全景
    全景 

復興泉は薬師湯のすぐ上手にある。そこは観海寺公民館も兼ねているようである。 このお湯は、会員制になっているようであるが、会員以外も100円で入浴できる旨の表示がある。 入口に木製の料金箱が置いてあり、そこにお金を入れて入浴するようである。 作者は時間が無く入浴できなかった。残念。


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