宝泉山
実相寺
[実相禅寺]
曹洞宗
★☆☆
仁聞
黄鐘律ノ古鐘
- 住所・電話
- 〒874-0844 大分県別府市火売1 標高:149.5m 地図 GMAP 0977-66-1974
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歴史
境内の案内板の内容を下に記す。(西暦年号、注釈は作者が挿入した。)
実相寺由来
天平勝宝3年(751)に僧明賢が速見郡河直山(鉄輪)の下に一宇を建立し、 その師仁聞法師を鼻祖にした。 いつ移ったかは不明であるが、寺は中世には実相寺山[1]の麓にあり、宝泉山と号していた。
天正初年(1573)吉良勘解由統国が中興したといわれるが、 慶長5年(1600)石垣原合戦に黒田孝高[2]の陣所となり焼失・荒廃した。 宝暦(1751-1764)の初め、肥前佐賀の僧即現が廃寺を興し、現在地「中河原ノ地」の廻り370余間を官に請うて、 ここに寺を移し実相山宝泉寺と号した。
天和2年(1682)には、安楽寺(玖珠)7世の茂林禅師を請うて開山とした。 享保年間(1716-1735)には宝泉山実相寺と改称し、 天明年間(1781-1789)には久留島家より知行70石を賜る。 嘉永2年(1849)2月8日諸堂焼失したが、同5年4月8日には諸堂は上棟し現在に至る。
寺には「黄鐘律ノ古鐘」があるが、もとは「鶴見社坊」[3]の鐘であった。 後に当寺で銘を彫ったと記している。
尚、当寺は曹洞宗(禅宗)で、福井県の永平寺と横浜市の総持寺が両大本山です。
ひとくちメモ
実相寺は県道218号線沿いに伽藍を構えている。 その場所から数百メートル北側は別府一の規模を誇る鉄輪温泉街である。 近くの方々に道を尋ねながらの初の参拝。 境内に入ったのは南側の参道からであった。 驚いた事に道路の側溝から湯けむりが上がっている。 ←あたりまえ。
表参道は県道218号線沿いに参道口が構えられている。 参道両サイドでは多数の石仏が観られる。 山門をくぐると左手「黄鐘律ノ古鐘」が架けられた鐘楼。 正面に本堂。本堂に向って左手には、多数の石仏が安置されている建物がある。 石仏の数はおそらく50体は超えると思われる。 その建物の裏手には観音堂が建てられている。
本堂前で合掌の後、境内を散策していると、住職の息子様から声をかけていただき、 本堂に上がらせて頂き御本尊の観音菩薩像を拝ませていただいた。 本堂内での写真撮影も快くOKを頂く。 また、鐘楼に架けられている梵鐘(「黄鐘律ノ古鐘」)も突かせて頂いた。 自分が突いて割ったらと、恐る恐る一突。 普段聴く他のお寺の鐘よりも少し甲高い感じの音がした。 余韻もまた良し。 帰り際に、住職の息子様が追いかけてきて、実相寺の歴史の史料の写しと缶コーヒーを頂戴した。 感謝感謝である。
地名の「火売」は「ほのめ」と読む。
写真
石仏群 本堂 山門 山門の扁額 観音堂 鐘楼 木板 - 本堂内 喚鐘と太鼓 - 本堂内 本堂欄間の竜の彫刻 - 本堂内 石仏群が安置されている建物 石仏群 石仏群 石仏群 本堂向かって左手の石仏と石祠 山門の木鼻 参道 参道の石仏 参道の石仏 墓地の墓石群(江戸期の銘墓標が多数) 表札石碑 - 県道218号線沿 参道口 南側の参道口(側溝からは湯けむりが上がっている) 墓地の石仏 門前の風景 - 鉄輪口に向って撮影 境内風景 境内風景 山門脇の皇帝ダリアの花 実相寺の南側を流れる春木川
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