heritage 種松山 西明院(さいみょうじ) 真言宗善通寺派 児島八十八ヶ所霊場第43番 児島八十八ヶ所霊場第44番

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〒710-0034 岡山県倉敷市粒江1214   標高:25.4m 地図 GMAP 086-428-1157  ホームページ
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歴史

度々の移転・天災等の為少ない資料から推察すると、延暦25年~大同4年(806-809)、弘法大師が諸国遊歴の折ここで虚空蔵求聞持法を修しようと造立した。修法の間様々な感応があり、海原の波の上に明星の影が見えたため海光山と称し修法が終わった後自ら不動尊を彫刻して本尊とし明王寺と呼ばれたが、いつの頃からかは不明ながら本尊は一字金輪仏頂尊となった。

昔、海中に不動明王の尊像があり、海上に光を放つ故に山号を海光山と称し、寺号を不動明王に依り明王寺という、寺の西に當りて光を放つを見により西明院と号す、明治6年(1873)、現在の種松山上に移し、種松山と改める。

明治36年(1903)、祖師堂と龍王堂が倒れ、里村まで距離が遠いことから大正13年(1924)、先陣庵がある先陣山の麓(現在地)へ移転した。(以上 ホームページより)

児島八十八ヶ所霊場第43番(本尊:一字金輪仏頂尊)。 境内の先陣庵児島八十八ヶ所霊場第44番となっている。

ひとくちメモ

境内は粒江の町より少し高い場所にあり、粒江の田園風景・町並を望めることができるようだ。

先陣庵

元々は天暦山先陣寺という寺であった。 源平合戦(1180-1185)の藤戸の戦いの際、佐々木盛綱が先陣を切って上陸したところに、後に盛綱が戦功によって児島の領主となった際、源平両軍の戦死者の冥福を祈るとともに、自らの先陣の地を記念して建立したと言われている。(Links② より)