高島回向堂
[回向堂観音]
仏教礼拝所
島原三十三観音霊場第5番
歴史
この辺り一体は船倉と呼ばれ、島原藩の軍船・御座船の停泊地であった。 そのため、水主(水夫)が居住していた。 寛政4年(1792)4月1日夜、眉山が崩落して大津波が襲い全滅した。 200数十人が犠牲となった。
翌年、藩は供養の為、回向堂を建て、本光寺の多福庵[1]に永代供養を命じた。 その時植えた大ソテツが残っている。(以上 Links① より)
ひとくちメモ
未参拝の為、未稿。
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