heritage 海雲山 晧臺寺(こうたいじ) [晧台寺・晧臺禪寺] 曹洞宗 坐禅 名鐘 仁王門 砥川石工 長崎四国八十八ヶ所霊場第49番

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〒850-0872 長崎県長崎市寺町1-1   標高:21.8m 地図 GMAP 095-823-7211  ホームページ
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歴史

慶長13年(1608)、 肥前国松浦郡山口村(佐世保市相浦町)飯盛山洪徳寺の7世であった亀翁良鶴により創建された。 当時、長崎は領主をはじめ住民の殆どがキリシタン信者であり、仏法復興のために奮闘。

慶長18年(1613)、キリシタン禁教令の発令により全盛を誇ったキリシタンにも次第にかげりが見え始める。 亀翁は、後任に佐賀市大和町玉林寺住持一庭融頓を迎え、その法席を譲る。 一庭は、鈴木正三と共にその実弟で天草代官である鈴木重成の招請に応じ島民の教導に努めるなど、 キリシタン転宗教化に一層努力するとともに、長崎に光雲寺永昌寺高林寺の3ヵ寺を開創し、晧臺寺の末寺とする。

3世月舟宗林の時、庫裡ならびに方丈・禅堂・衆寮・本堂などが建立され、禅寺としての体裁が整えられる。 明治29年(1896)、27世金峰玉仙は、曹洞宗認可僧堂を開単し雲衲の接化に努めた。

以後多くの修行僧が全国より集まり、現在の晧臺寺専門僧堂の基礎を築くこととなったという。 県内外に末寺多数。(以上 ホームページより)

総門「 勅額門」を過ぎ た右手の石仏群の中の地蔵菩薩半珈坐像の六角形の台座には「佛工肥前州砥川平川与四右衛門」「宝永三年丙戌(1706)吉祥日建施」銘がある。 如意輪観音菩薩半珈坐像にも「肥前戸川之住平河 輿四右衛門作」銘がある。(Links① より) ここで、「平川与四右衛門」とは砥川石工の棟梁の名である。

ひとくちメモ

未参拝の為未稿。

イベント情報(今日から1年間)

○主催者などに事前に確認の上、参加下さい○

日時内容備考状態
2023-12-31()
(22:00〜23:59)
除夜の鐘22時~確定

写真

  • 如意輪観音_『石工「平川与四右衛門」の軌跡 - 全国遺跡報告総覧』より引用
    如意輪観音_『石工「平川与四右衛門」の軌跡 - 全国遺跡報告総覧』より引用 

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