飯盛神社
[豊前坊]
神仏習合
長崎四国八十八ヶ所霊場第45番
歴史
当社は明治の廃仏毀釈で廃寺となった寂静院本覚寺が祭祀していた神仏域であった。 下に社殿脇の案内板の内容を下に記す。この文章の筆者は当寺最後の17世住職豪教のようだ。
飯盛神社
- 祭神
- 天火明命・ 大日孁貴命・ 火進命
- 相殿
- 伊邪那岐命・ 伊邪那美命・ 天忍穂耳命
- 所在
- 長崎市本河内町飯盛山々山頂
- 此の地は飯盛山の頂部で社殿は後に10余丈巨巌を負ひ鬱蒼たる林麓に包まれて居る。 試みに仰げば怪巌は雲に入りて日月と戯れ低部水源地は碧波を湛へ脚下に彷徨している。 誠に崎陽の一名区たるを失はない。
- 沿革
- 元和元年(1615)大賢坊巌盛と云ふ天台宗に属する修験者が八百屋町[1]に彦山[2]大権現を勧請して寺を如意山正覚院神地寺と稱へ、本河内郷なる彦山[3]上に上宮を営み豊前国彦山の末寺となった。
- 3代寂静院兼瑞に至り炉粕町[4]に移転して寂静院本覚寺と改稱、5代日照坊覚潭は彦山の傍なる飯盛山に豊前坊を勧請した。 是より世人はこの神社を豊前坊と稱すると共に山も同時に豊前坊と云様になった。
- 寛延元年(1748)糸割符宿老濱武宗貞が炉粕町内なる自己所有地、286坪の地(今の炉粕町78番地附近)を寄附したので同年同地に移転して明治維新に及んだ。
- 明治維新に際して神佛混淆禁止令出づるに及び本覚寺17代豪教は裁判所総督澤宣嘉の許可を得て本覚寺を英彦山神社と改稱し則ち一切の佛式構造と荘厳とを撤去し自ら環俗して神地寺大蔵と改め神主に補せられた。当時本社は英彦山神社の摂社であった。
- 神主 神地寺大蔵 藤原豪教
- 附記
- 当神社は進学の祈願に霊験あらたかであるとの事で最近は年々祈願参拝者が多くなっております。
豊前坊神社奉賛会
社殿の隣の鳥居をくぐって石段を登ると豊前坊上不動堂がある。 御堂は長崎四国八十八ヶ所霊場第45番(本尊:不動明王)となっている。(Links① より)
ひとくちメモ
麓本河内の集落内から当社へは、木々に包まれた長い石段が続いているようだ。 詳しい経路はわからないが、社殿近くに車で横付けもできるようだ。
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