浦田観音
[浅間神社]
仏教礼拝所
お乳
島原三十三観音霊場第18番
歴史
原城主、有馬晴信(1567-1612)の若君が誕生した当時、乳不足[1]であったので、家臣山崎飛騨守が心配のあまり観音菩薩の小祠をつくり祈願したところ乳が出るようになったと言われ、以来乳出安産の守り本尊となった。
境内には、島原の乱(1637-1638)の時、幕府軍が原城攻撃の為に用いられた「甬道」跡がある。 日向国から坑夫を招いて掘らせたもの。籠城軍はこれを知り迎穴を掘り、生葉をいぶし、糞を注いだので幕府軍の進撃は失敗に終わったという。(以上境内の案内板より)
ひとくちメモ
未参拝の為、未稿。
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