人柱観音供養塔
仏教礼拝所
人柱
平戸街道御厨筋
歴史
江戸初期、このあたりは海が入り込み潟となっていた。時の領主松浦信貞(1637-1712)が干潟を埋め立てて新田を造ろうと思い、田代近松という人物にこの工事の監督をあたらせた。工事は海潮に侵され、幾度堤防を築いても崩壊し工事は頗る難工事で進捗しなかった。田代近松はみずから生きたままの身体を白犬と共に堤防に埋められた。近松の人身御供の犠牲により堤防も完成。近松と白犬の供養の為この観音供養塔が建てられたと伝わる。(Links① より)
当供養塔は総高210cm程。よく見られる六地蔵塔の龕部が3層形式のもので各層に11体の観音像が彫られている。3層併せて33観音となっている。供養塔と同一タイプのものが福寿寺(松浦市福島町)に2基ある。(境内の案内板より)
御堂脇の道は平戸街道御厨筋である。
ひとくちメモ
未参拝の為、未稿。
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Links
①人柱観音供養塔(ひとばしらかんのんくようとう)/松浦市
②人柱観音供養塔 松浦市今福町東免 ( 長崎県 ) | みさき道人 "長崎・佐賀・天草etc.風来紀行"