井樋ノ尾観世音
不詳
[未]
IBINOO-KANZEON
長崎街道
歴史
Linksのページによれば、開基350年祭記念碑には下記のように記されているという。
井樋之尾観世音は寛永141637年島原の乱のおり切支丹宗徒等の一揆は神社仏閣の焼討ち打壊しを行った。
いち早く乱を察知した肥前国高来郡有馬村・諫巳寺の僧、永誉敬庵主は一揆が立て篭もった有馬氏の廃城・原城北三の丸に安置されてた聖観音像を捧持し法類の喜々津村の正法寺を頼って艱難辛苦の旅を続けた。
その最中、豊かな清水の湧き出る井樋之尾御手洗の地に到り、ここぞ観音様を、お祭りするにふさわしい霊地であると正法寺の末庵を建立したのが井樋之尾観音の創始である。
それ以来、地元部落の人のみならず近郷近在の人々の守護仏として篤い信仰と崇敬を集めてきた。井樋之尾観音開基350年祭りを迎えるにあたり御堂改築、境内整備を行い、ここに祈念の碑を建立する。
門前は長崎街道である。
地名「諫早市多良見町化屋」は「いさはやし たらみちょうけや」と読む。
ひとくちメモ
未参拝の為未稿。