金屋神社
[金屋権現]
神道
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- 〒859-3714 長崎県東彼杵郡波佐見町金屋郷2493 標高:219m 地図 GMAP
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歴史
祭神:金山彦命・伊弉諾神・伊邪那美神・天忍穂耳命・橘諸兄公
天平4年(732)、勅に依って大和国金峯山の神を此地に還して祀る。 橘諸兄が勅使として下向。天平14年(742)、社領530石及び宝剣2振金子1000両が寄進される。
12寺6坊が建立され神社の附属とされた。 当時日本四方固めの神社の一として紀州熊野山に比肩したという。
文禄元年(1592)朝鮮出兵のとき、軍船渡海の安全を立願。後、小西行長を使いとして願解の物品を寄進された。
寛永14年(1637)(一説天平年中ママ)切支丹教徒による焼討に遭う。 社人は御神体を奉じて嬉野に逃れ、唐林寺[1]に滞留。 その後、須古(現:佐賀県杵島郡白石町)の水堂安福寺を頼って須古に移り金谷坊に神体を安置奉祀。 これより文政10年(1827)まで約200年間この地に祀られた。
文政10年、時の神職中山加賀守公明に依って須古より現在地(元の場所)に迎えられ鎮座。
御紋章入御綸旨箱・錦の幕切・神社創建の勅書他宝物多数所蔵。 (以上 境内の陶板製の案内板より)
ひとくちメモ
巨大な一の鳥居の場所は当社から約2.5km北西に下った所にある。 奥御殿は当社より東南に直線距離で400mの所にある。 当社は広大な神領を有していたことが伺える。
町石
令和4年(2022)、金屋神社参道で、町石と呼ばれる史跡が計5基見つかった。 町石とは、主に霊山や神社の参道に沿って1町(1丁、約109m)ごとに建ち、道しるべとなる石造物[2]。
本殿裏山の奥御殿から一の鳥居までを結ぶ参道沿いに計5基。いずれも砂岩製で奥御殿から近い順に「壹町目」「五町目」「七町目」「八町目」「十五丁目」と銘文が刻まれている。形状などから1700年前後に奉納された可能性が高い。「十五丁目」だけは「町」が「丁」となっていることから、江戸後期に再建されたものと思われる。(以上 長崎新聞(2022-04-03)より)
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