江東山
春光寺
臨済宗南禅寺派
★☆☆
松井家歴代の墓所
- 住所・電話
- 〒866-0803 熊本県八代市古麓町971 標高:31m 地図 GMAP 0965-32-5557
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歴史
境内の案内板の内容を下に記す。
春光寺
臨済宗。 八代城主・松井家の菩提所。 1643(正保3)年、松井興長が八代城に入城すると、北の丸(現・八代一中)の泰勝院(細川幽斎菩提所)を松井家菩提所・宗雲寺に改める。 1675(延宝3)年、泰厳寺(織田信長菩提所)焼失後、泰厳寺を北の丸に移し、1677(延宝5)年、新たに当地に松井家菩提所・春光寺を開く。同年、諸堂も落成する。
境内はかつて相良家時代の陣内であった場所。 石桁橋をわたると門がある。 門は八代城三の丸永御蔵の門を1987(昭和62年)に移築した、無骨な薬医門である。 門塀の瓦に細川家紋、松井家紋がある。 門の隣も永御蔵番所の移築である。
現在の本堂は明治時代の再建である。 寄棟造のしころ屋根で、正面右側に唐破風がつく。 唐破風は参道軸上に位置する。 屋根は近世寺院の造形を継承し、中心をずらす唐破風は、禅宗寺院の方丈の玄関を継承する。 この唐破風の蟇又をはじめ松井家の三ツ笹紋が多様されている。
本堂裏の大書院・庫裏は熊本・松雲院から移築した当時のもので、 お成りの間、お次の間があり、座敷飾り、極彩色の板戸の絵、欄間彫刻など建築意匠も豪華である。 大書院からは庭園・長春園をのぞむことができる。
裏の高台には松井家歴代の墓所である古廟・新廟がある。
熊本高等専門学校「八代たてものマップ」プロジェクトチーム
境内の別の案内板(八代市教育委員会・平成28年)によれば、その創建は、天正11年(1583)、初代松井康之が亡父正之追善の為、丹後久美浜(京都府丹後市久美浜町)に常喜山宗雲寺を建立したのに始まる。 その後、豊後杵築・豊前小倉・肥後熊本と移り、延宝5年(1677)直之の代に現在地に移された。 寺号は松井康之の法号「春光院英雲宗傑」に因んだものという。
Links① によれば、西南戦争(1877)の戦場となり、境内には弾痕が残っている。 秋には紅葉も楽しめるという。
ひとくちメモ
寺の裏手は山、西側には球磨川が流れている。 石橋を渡り、八代城より移築した山門をくぐって境内に入る。 山門と両脇の塀はどっしりとした、風格あるものとなっている。 正面が本堂。本堂に向かって左手の山裾を進めば、松井家の廟所への石段がある。 廟所には多数の巨大な墓石が覆屋の中にみられる。
参道口のすぐ脇は「八丁山・上宮・八峰山ハイキングコース」の登り口である。 境内にはカエデの大木がある。 桜の名所ということであるが、未確認。 永御蔵番所の建物前にはローゼルの花がきれいに咲いていた。
写真
本堂 本堂の扁額 表札 山門(八代城三の丸永御蔵門を移築したもの) - 境内より撮影 山門(八代城三の丸永御蔵門を移築したもの) - 境内より撮影 山門(八代城三の丸永御蔵門を移築したもの) - 境内より撮影 鐘楼 「利休袈裟形御手水鉢」 花屑庵 - 山門をくぐって左手奥 ハイキングコース登り口の石造五重塔 カエデ - 本堂に向かって左手 ローゼル - 永御蔵番所の建物前 ローゼルの花 - 永御蔵番所の建物前 ローゼルの蕾 - 永御蔵番所の建物前 庚申塔 - 山門前 境内風景 - 本堂を背にして撮影 石橋 参道口(向かって左手が寺への参道口、右手が八丁山・上宮・八峰山ハイキングコース登り口) 地蔵堂 - 参道口 地蔵堂内 - 参道口 八丁山・上宮・八峰山ハイキングコース案内板 梵鐘
松井家廟所
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