長年山
光徳寺
真宗大谷派
★☆☆
薩摩街道
- 住所・電話
- 〒866-0857 熊本県八代市出町8-8 標高:7.3m MAP GMAP 0965-34-6433
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歴史
門前の案内板の内容を下に記す。
光徳寺
浄土真宗大谷派。 1587(天正15)年、名和長年の子孫・明信の開基。 初めは海士江にあった(現西雲寺)が、のち大村へ、1661(寛文元)年に現在地に移転。 現在の堂宇は火災後の1833(天保4)年の再建。 当地は薩摩街道から八代城下町、松江口番所への入口にあたる要の位置である。
門は三間一戸の四脚門で境内南に開く。 屋根は本瓦葺で獅子口に名和家紋がある。 四半敷に禅宗様礎盤を配し、円柱を立てる。 虹梁は台輪つき、天井は格天井、本柱と袖柱間は花狭間とする。 脇に冠木門もある。
本堂は基壇に建ち規模は大きく、入母屋平入、三方に広縁・落ち縁が回る。 巴瓦に「光徳寺」、滴水瓦に「長年山」と記す。 向拝の屋根左右に亀蛇瓦がのる。 向拝柱、縁束は禅宗様礎盤に立ち、特に縁束は円柱でちまきがあり禅宗様の特徴を持つ。 向拝は象鼻、皿斗の大斗、繋虹梁はなく手挟は籠彫。 広縁の柱筋には台輪がのり、組物はニ手先、中備は出組と蟇股。 身舎の組物は枠肘木とする出組。 建具は正面中央を折桟唐戸、他は舞良戸とし、欄間は菱欄間。 内部は浄土真宗型平面で小組格天井、柵内は中段で結界を置き、 内陣・余間は上段、内陣は後門形式である。 庫裏は式台に大きな唐破風がつく。 吹き放し鐘楼は市内では珍しい扇垂木である。
熊本高等専門学校 「八代たてものマップ」プロジェクトチーム
別の案内板によれば、明治10年(1877)、西南戦争では官軍の本陣として使われ、 明治29年(1896)には八代高校の前身である、済々黌八代文黌が置かれたという。 門前の道は薩摩街道である。 門前は国土地理院の水準点である。
伊藤氏メモ当寺の住職に、法海(1768-1834)という高僧がいた。
法海は長福寺(日田市)11世普明(宝月)の子に生まれ、幼いとき八代光徳寺の養子になり長じてその寺を継いだ。
法海は文芸学問に励み詩は特に巧みであった。24才の頃,筑前の亀井南冥に会ってその才を誉められた。長福寺に帰省したときは、寅之助(広瀬淡窓)にも指導添削をした。文化元年(1804)には本山東本願寺高倉学寮の寮司に、同2年には擬講師、文政11年(1828)には学僧の最高位である講師(学頭)に選ばれた。
当時の京都大谷学派における権威は、宝月・法海・大含と日田関係の学僧が占めていた。法海はたいへん謹厳でしかも雄弁であったという。名声を得ていささか放縦な生活をしていた頼山陽を諭したという逸話もある。 法海の詩は『聨壁詩稿』に収められている。(Links① より)()
ひとくちメモ
伽藍の規模・造りの精緻さは当地区一ニを争うものではなかろうか? 境内にはご当地のトンチ話で有名な彦一塚がある。
写真
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