泉福山
本成寺
日蓮宗
★☆☆
河童
高麗門
加藤忠正の菩提寺
- 住所・電話
- 〒866-0861 熊本県八代市本町1丁目10-24 標高:7m MAP GMAP 0965-33-2628
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歴史
門前の案内板の内容を下に記す(一部作者が書き換えました)。
(加藤忠正菩提所の泉福山本成寺)本成寺門の高麗門(市指定有形文化財)
加藤清正は嫡男、主計頭忠正の一周忌(慶長13年(1608)2月)に本成寺を創建[1]。 法名は理性院殿宗覚日等居士。 開山は妙音院日領である。
寺領現米50石ならびに妙音院へ衣鉢の月俸10人扶持を寄附し、のち正方もまた寺領を寄附した。
2世住職竜淵院日通の時細川三斎(細川忠興)の所望により本堂と梵鐘を泰勝院[2]創建用に寄附、引き料に拝領の現米80石その他で寛永11年(1634)5月八代城下本町1丁目の現在地に新本成寺を建立移転した。
高麗門は、八代城代加藤正方が、元和5年(1619)秋から築城した八代城表枡形門の第1門であった。 細川三斎が亡父の菩提所を建立する為に本堂と梵鐘を献上させた引き換えに、この高麗門を寄附し保存させたものである。
門の造りは扉を収める小屋根を両脇に供え、瓦に加藤家の家紋をつけ、梧桐の花葉の彫刻をつけ、 屋根のそりや木組の間につけた彫刻の美しさ、門脇の塀の屋根に八代城の塀に用いた板瓦をつけるなど、正方の元和創建の建築様式をしのぶ、唯一の高麗門の遺構である。 本堂その他の建物は享保元年(1716)7月の類焼による再建であるが、当時の様式をそのまま取り入れられたもので美しさは八代大名級菩提所では随一のものである。
昭和55年11月 八代市教育委員会
ひとくちメモ
八代城の枡形門の第1門であったと言われる高麗門の間口は思ったより狭い。 枡形門は城の防衛設備で敵の侵入を妨害する役割である。 考えてみれば、広い間口だと敵が侵入しやすいのでこのサイズになったのであろう。 二層式の本堂も堂々たる風格がある。 前面にあしらわれた朱色の柱と木鼻の象の彫刻も見事である。
写真
鐘楼 門前の風景 本堂の屋根瓦 旭子安観世音菩薩堂(六角堂となっている) - 高麗門脇 高麗門 高麗門の扉 唐獅子 手水舎(井戸の上には河童の象) 清正公堂(和光堂)に提げられた喚鐘 高麗門が設置されていた場所(赤丸印) - 八代城跡枡形門入口
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