薬師如来堂
[医王山浄瑠璃寺]
高野山真言宗
☆☆☆
薩摩街道
六地蔵塔
歴史
境内の案内板の内容を下に記す。
今を去る千年の昔から湧出していた山鹿温泉は、無職透明・無味無臭、乙女の肌を思わせる柔らかい独特の泉質で、町民の宝であり誇りでもありました。
ところが、文明5年(1473)3月突然、温泉が涸れお湯が湧出しなくなり、町民はたいへん嘆き悲しみました。
この様子を聞いた肥後の守護(国主)菊池重朝公は、祈祷寺である金剛乗寺の第8世宥明法印に、温泉復活の祈祷を頼みました。法印は、すぐに薬師堂(医王山浄瑠璃寺)を建立し、同年9月15日より毎日身を賭して大祈祷を続けました。 すると3ヶ月後の12月20日に、以前より勝る勢いでお湯が湧き出し、町民の歓喜の声は町中にこだましました。
この時以来、毎年12月20日、薬師堂において湧出長久を願い、「温泉復活感謝祭」として祈祷が行われています。
この薬師堂には温泉の守り神として薬師如来をご本尊に、脇侍に日光・月光菩薩(薬師三尊)とその守護神十二神将を祀ってあります。
御堂の西側に東西に走る道は薩摩街道である。
ひとくちメモ
薬師堂はさくら湯の西隣にある。 御堂の扉は施錠されており、格子戸越しの参拝となった。 御堂の前には六地蔵塔がたっている。
当ページに掲示している、「山鹿湯町絵図」を見れば、当薬師堂・御前湯(殿様の風呂場?)・高札場もこの地にあったことがわかる。
当薬師堂の山門の棟札に「御成門建・・・嘉永壬子 六月」と記されている。 当薬師堂の山門は御茶屋の門だったのかも知れない。 ここで「嘉永壬子」とは嘉永5年(1852)のこと。
写真
さくら湯
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加藤家の改易後、豊前小倉藩から肥後熊本藩に国替えとなった細川忠利は薩摩街道を下り、熊本入りし山鹿で一泊している。 この地が気に入った忠利は、寛永17年(1640)この地に御茶屋を新築した。 おそらく温泉(湯屋)付きの御茶屋だったのだろう。
明治3年(1870)江上津直・井上甚十郎が老朽化した湯屋を私財を投じて再建、翌年11月に落成。 これがさくら湯の起源である。当時の入浴料は無料だったが明治31年(1898)から有料となった。
その後、数度の改修を経て現在に至る。その間、昭和48年(1973)の大火に遭った。(さくら湯前の案内板などより)
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