火除け地蔵尊
仏教礼拝所
☆☆☆
薩摩街道
歴史
今から1000年の昔、上市に舞鶴山像成寺(真言律宗)があったとき、ここに惣門があり、門の脇に地蔵尊が祀られていたので「地蔵口」と呼ばれていた。
その後、寺域は城となり山鹿城(上市城)[1]と呼ばれ、菊池氏一族の山鹿氏が代々居城し、天正16年(1588)5月、城主山鹿彦次郎重安が亡ぶまで続いた。
当地蔵尊は、弘化3年(1846)1月の大火、昭和46年(1971)8月の大火にも難を逃れた。 (地蔵堂脇の案内板(下町区 平成11年(1999))より)
御堂前の道は薩摩街道である。
ひとくちメモ
地蔵堂の前面は格子が設置され、格子の穴からの参拝となった。 着ておられる衣のひだの模様が美しい。
写真
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