吾平山
相良寺
[相良観音]
天台宗
★★★
肥後三十三観音霊場第33番札所
九州四十九院薬師霊場第31番札所
旧山鹿郡三十三観音霊場第33番札所
歴史
最澄の開基と伝えられるが、開基は肥後出身の僧・俊芿との説もあり。 治承・寿永の乱の際、平氏方であった菊池隆直の兵が相良の地に籠もり、これを攻めた源氏方の緒方惟栄が寺を焼き討ちにしたため、本堂や多くの坊舎を焼失。
正平年間(1346-1370)、菊池武光が寺を再興。以後、菊池氏歴代の帰依を受け、菊池氏没落後は国人・隈部氏の信仰を受けた。
本尊は、室町時代後期の作。丈六の千手観音坐像(3.4m、檜の寄木造、永正14年(1517年)銘)。 木彫座像としては国内最大である。(Links② より)
ひとくちメモ
寺域は本堂域から南側に600mほど下った南大門から始まっているとすれば、広大な面積である。
南大門から土産物屋の集まる駐車場の所までの参道脇にも六地蔵塔・石塔などがみられる。
土産物屋の集まる参道から石段を登ると、両脇に石造仁王像があり、正面が本堂である。 本堂内には丈六の千手観音が鎮座。きれいな威厳のあるお姿。圧巻。本堂の上がり千手観音の前でしばし念仏。
作者が参拝したのは平日午前10持過ぎだったが、けっこうな人数の参拝客もみられた。
写真
本堂 千手観音前の金剛杵 境内風景 - 本堂を背にして撮影 鐘楼 本堂前の石段(左右に仁王像) 仁王像(向って左手) 仁王像(向って右手) 門前の石地塔 本堂前の参道 ネコちゃん(爆睡中) - 寺務所のカウンターの上 梵鐘
南大門から駐車場の間の参道
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昔からこの場所は「ヂャアモン」と呼ばれている。 当寺は最盛期には99の某社があったと伝えられ、ここの南大門が建っており、道の両側には石塔が並んでいた。
源平合戦の時、豊後の武将、緒方三郎が寺を焼き討ちして、この坂を下る時、観音菩薩がカズラに化身してその馬にからみつき落馬した所を平家の残党が首を討ち取ったという。(以上 門柱の脇に「南大門」と題された石碑より)
ここから600mほどは一直線の上り坂の参道となっており。参道脇には六地蔵塔他いくつかの石塔がみられる。
門前の土産物店
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土産物店の数は10軒ほど、平日の午前中にも関わらず、数軒がもう店を開けていた。
休日やお祭りの時は多くの参拝客が訪れるのだろう。