大国山
明生寺
真宗大谷派
伊藤氏参拝済
歴史
伊藤氏メモ創建はおよそ400年近く前。以来現在地にあり、現第15世。創建の初代は、現住職と同姓の田島右近という細川家に仕えていた武士で、世の無常を儚んで仏門に入ったという。
寛政4年(1792)旧暦4月1日に雲仙岳眉山で発生した山体崩壊とこれによる津波災害は、島原大変肥後迷惑と呼ばれ、肥前国と肥後国合わせて死者・行方不明者1万5000人という、有史以来日本最大の火山災害となった。 当寺は、このための供養を細川家から命じられ、現在でも市内鍋地区にある明神尾公民館で毎年4月1日に供養を行っている(現在は、地区の老人会が主催者となっている)。()
ひとくちメモ
未稿。
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