盲観音堂
仏教礼拝所
肥後熊本三十三観音第30番
歴史
御堂前の「日本最後の仇討ち報謝塔」記された白杭の側面の由来記を下に記す。
文久元年(1861)4月6日、江戸詰の下田平八と中津喜平は、同役の入佐唯衛門に殺されました。 下田の妻(田鶴)と子(恒平)、中津の妻(寿の)は、仇を討とうと念願し、苦節の10年後、明治4年(1871)4月16日、玉名石貫で仇討ちを行い、多年の本懐を遂げました。
この塔は、田鶴が仲間町に住んでいたころ、朝夕ここの観音様に祈願をこめて本懐を遂げた御願解に建立したものです。
上の記事により当観音堂は江戸末期には当地に立っていたことがわかる。
肥後熊本三十三観音第30番(本尊:聖観世音菩薩)。
ひとくちメモ
未参拝の為、未稿。
周辺のスポット(4km以内)
周辺の寺院・仏教施設・他のページは当ページの上部の検索の項の「4km以内」のボタンをご利用下さい。
Links
①盲観音堂