妙音山
西安寺
浄土宗
阿蘇西国三十三カ所第24番
歴史
境内の案内板の内容を下に記す。
浄土宗 西安寺 由緒(阿蘇西国三十三カ所第24番札所)
妙音山西安寺は阿蘇西巌殿寺の僧、記宝禅師[1]が今から530年程前の文正元年(1466)白水村上積に開基された由緒ある浄土宗寺院である。承応2年(1653)豊前中津藩主細川公の家臣なりし沢龍和尚が熊本往生院に住し、隠居して南郷谷に入り上積より現在の吉田新町に移し[2]今日に至っている。吉田新町の町立て以前の事といわれる。
この間、混乱する歴史の激流にもおし流されることなく、南郷谷第一の専修念仏の道場として今日まで維持されてきた。
本尊阿弥陀如来は室町時代の作といわれ、九州でも数少ない由緒ある仏像である。
また落合直文の小説「孝女白菊物語」のモデルとなった妙喜尼の住んだ白川夕照寺(第22番札所)[3]の堂宇と棟札や鎮火佛として近隣の信仰を集めている地蔵尊が祠られている。
本堂に掲げられている「妙音山」の山号額には「大友宗麟公菩提所」と記されており、豊後臼杵城主で戦国大名として有名な大友宗麟とこの寺との縁の深さを偲ぶことができる。 寺宝として、寛文5年(1665)細川藩5代藩主綱利公が6歳の時に書き沢龍和尚に贈られたと伝えられている「花山」の2文字扁額がある。
文化勲章を受賞した日本画家堅山南風も青年の頃、阿蘇巡遊の際、当寺に投宿した。
ひとくちメモ
未参拝の為、未稿。
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