阿蘇山
西巌殿寺
天台宗
★☆☆
写経
火渡り
九州西国霊場第13番札所
百八観音霊場第88番札所
阿蘇西国三十三カ所第1番
肥後三十三観音霊場第1番札所
九州四十九院薬師霊場第30番札所
- 住所・電話
- 〒869-2225 熊本県阿蘇市黒川1114 標高:540m 地図 GMAP 0967-34-0928 ホームページ
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歴史
起源は神亀3年(726)までさかのぼる。 天竺から来朝していた最栄読師が阿蘇山にやって来で噴火口めざして山を登り、修行に励んでいたところ、目の前に九つの頭を持つ大きな龍(阿蘇神社の祭神健磐龍命)が天空をついて現れ、その言に従い火口を覗くと、亡者たちをかばい鬼に打たれ、争う亡者たちの仲裁に入る慈愛に満ちた十一面観世音菩薩の姿を見た。 尊いその姿に心打たれた読師は、登山途中見つけた霊木に心を込めて十一面観世音菩薩彫り、火口の西の洞窟(巌殿)に安置して本尊として祀り、毎日法華経を読んで修行に励んだ。人々は、そこを西の巌殿の寺と呼んだ[1]。
その後、最栄読師のまわりには自然と修行者が集まるようになり。阿蘇山上の西の巌殿を中心に、天台宗の僧・真言宗系の行者たちが坊舎をつくり、それに属する山伏たちが次々に庵(支坊)を結んでいった。その数「三十六坊五十二庵」と呼ばれるほどとなった。
天正年間(1573-1592)、豊後の大友氏と薩摩の島津氏の確執が激しくなり、阿蘇神社の大宮司であり阿蘇地方を治める戦国武将でもあった阿蘇氏は、大友氏の支配下に入っていたことから島津軍の攻撃に遭い、西巌殿寺のある古坊中も阿蘇氏の庇護下にあったことから、山上の寺院群をすべて焼き払われたと伝わる。この時落ちのびた長善坊はその後も神仏への奉仕を続けた。
豊臣秀吉の天下統一により肥後の国には加藤清正が入ってくる。 長善坊は清正に三十六坊五十二庵の再興を願い出て許しを受ける。 慶長5年(1600)、清正は各地に散在していた僧侶たちを呼び集め麓の黒川村に「三十六坊五十二庵」を再興した。 山上にも本堂・諸堂舎が建てられた。 この時から黒川村の坊舎を「麓坊中」、山上を「古坊中」と呼ぶようになった。
明治4年(1871)、廃仏毀釈による寺領返還によりほとんどが廃寺となり、唯一、旧学頭坊を西巌殿寺として存続することができた。 明治22年(1889)、阿蘇山上に奥の院が建立された。(以上 ホームページより)
平成13年(2001)不審火により麓の本堂が全焼。令和3年(2021)現在、本堂より一段下手(北側)の建物が本堂となっているようだ。
ひとくちメモ
境内は広大な敷地面積である。 南側の参道口より100m超の一直線の緩やかな上り坂の参道を進むと、正門がある。 正門をくぐってすぐ左手に現本堂域、そのまままっすぐ進めば、火災で焼けた旧本堂域に登る長い石段がある。
山門は新本堂域の東側、旧本堂域の東側にもある。 車で参拝するには新本堂域の東側の山門が便利である。車に乗ったまま山門をくぐり、本堂前の駐車スペースまで行ける。
現本堂域
旧本堂域への参道(正門を背にして撮影。前方に長い石段が見える。新本堂は左手にある。) 現本堂前の扉 地蔵菩薩 - 現本堂域 仏堂 - 現本堂域 地蔵堂(手前)の仏堂 - 現本堂域 地蔵堂内 - 現本堂域 石塔 - 現本堂域 東側の山門 - 現本堂域 東側の山門の山号額 - 現本堂域 巨大な宝篋印塔 - 現本堂域の東端
参道
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有)カルキフーズ(肉屋)の隣である。
ここから緩やかな一直線の上り坂である。 左手には民家が並んでいる。右側は途中から杉並木が少し続いている。
正門前の右手には浄光院(浄教)跡がある。 御堂の前の駒札に「天正15年(1587)山上落去の後、加藤清正が、阿蘇内牧城代加藤右馬允に命じて、麓黒川村に阿蘇一山を取立て扶持・居屋敷を与えたとある。」と記されている。 敷地内には「園通庵(聖観音・子安観音・生目八幡)」と記された扁額がある仏堂が建っている。 扉は施錠され、扉の前で念仏した。
この浄光院(浄教)跡の参道を挟んだ反対側の民家の敷地にも「萬福院跡」と記された看板板があり、「元禄5年(1692)正月(・・・)乙護法講義行われ、(・・・)の乙護法講式を書(・・・)」と記されている。
この浄光院(浄教)・萬福院は「三十六坊五十二庵」に属するのもだろう。
旧本堂域
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旧本堂域へのは正門をくぐって、そのまま真っすぐ進み、長い石段を登って行く。
火災で焼けたと言われる旧本堂の礎石をみれば、かなり大きな建物であったことがわかる。
今は男鬼・女鬼・役小角・足手荒神が祀られた仏堂が建物として残すのみである。 敷地周辺には多くの石仏が並んでいる。
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