天松山
満念寺
天台宗
☆☆☆
豊後街道
阿蘇西国三十三カ所第5番
歴史
開基は慶長元年(1596)とも慶長年中(1596-1615)とも伝えられる。 比叡山正覚寺もしくは比叡山延暦寺の末寺ともいわれる。
一時衰退したが大教院玄覚が再興し、内牧天満宮[1]が蛭池から当寺境内に移転[2]してからは社僧をつとめ、神仏混淆して明治に及ぶ。 明治元年廃仏毀釈によって所在を追われ、現在は満徳寺門前にお堂が残る。( 御堂前の案内板より)
阿蘇西国三十三カ所第5番(本尊:十一面観音)。
御堂の北側を東西に走る道は豊後街道である。
ひとくちメモ
祭壇は3区画に別れ、向って左手より古い位牌(複数)・十一面観音(本尊)・千手観音が祀られている。
写真
祭壇 本尊:十一面観世音菩薩 - 祭壇中央 古い位牌 - 祭壇に向って左手 千手観世音菩薩 - 祭壇に向って右手 阿蘇西国三十三カ所の記念タオル - 御堂内に掲示されてる 御堂前の風景(前方に満徳寺の山門が見える) 参道口の豊後街道 - 坂梨宿に向って撮影
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