永谷山
皇徳寺跡
[皇徳禅寺跡]
曹洞宗
無著妙融
六地蔵塔
歴史
南北朝時代、後醍醐天皇の皇子・征西将軍宮懐良親王(1329-1383)によって御所ヶ原[1]に建てられた皇立寺[2]が起源とされる。懐良親王が亡くなると、南朝方の武将であった薩摩平氏の国人・谷山忠高によって親王の位牌を奉じる菩提寺として移転し「永谷山皇徳寺」と改名した。[3]島津義弘の子息で文禄の役で夭折した島津久保の菩提寺でもあった。永平寺直末。 明治2年(1869)廃仏毀釈により廃寺となった。(Links① ・Links④ より)
ひとくちメモ
跡地には、破壊された仁王像・石塔・六地蔵塔などが残っているようだ。 六地蔵塔は文禄4年(1595)建立。(Links⑤ より) 画像はLinks⑤ に多数掲示されている。
Links
①皇徳寺 (鹿児島市) - Wikipedia
②無著妙融とは - コトバンク
③【鹿児島歴史まち歩き】鹿児島市上福元の懐良親王御所記念碑がある一帯には御所の地名が沢山残っている。
④三国名勝図会 : 60巻. 7(巻之19-21)
⑤皇徳寺跡(1) - 薩摩旧跡巡礼