中島常楽院
天台宗
歴史
島津忠久(?-1227)が守護に任命された際に滋賀県大津市にあった妙音寺常楽院(現在廃寺)の僧侶・宝山検校を伴って下向し、建てたのが中島常楽院とされる。
この寺は視覚障害者の僧侶しか入れない「盲僧寺」とされ、歴代の住職は楽器の達人が多かったとされる。
15代当主・島津貴久(1514-1571)によって薩摩国大隅国日向国の盲僧の監督寺とされ、歴代薩摩藩主の帰依も高かった。 18代当主・島津家久(1576-1638)は元和5年(1619)常楽院を鹿児島城下に移転したため吹上町に残った寺は子院となった。 その後、鹿児島城下に移った本院は廃仏毀釈や第二次世界大戦の空襲被害などにより、現在は宮崎県日南市に移転(宮崎県日南市板敷に現存)。 吹上町に残った子院も廃仏毀釈により現在は仏堂1棟と歴代住職の墓のみが残る状態となっている。仏堂と境内は鹿児島県指定史跡。(Wikipediaより)
西酒造の焼酎のブランド名「宝山」は、宝山検校の名前に由来する。(Links①より)
当寺には「妙音十二楽」が伝わる。800年の伝統とされる演奏行事(県無形文化財)。仏教の教えを解釈した「釈文」を唱えながら、琵琶や太鼓、銅鑼などの8種類の楽器で12曲を演奏するのが特徴で、毎年10月12日、宝山検校の墓前供養と合わせて開催されてきた。担い手不足により2019年に最後の演奏となった。(読売新聞(2019-10-13)より)
ひとくちメモ
未参拝の為、未稿。
Links
①中島常楽院 - 鹿児島県日置市吹上町 / 旅行記
②薩摩琵琶発祥の地「中島常楽院」建立した僧の名は、あの有名焼酎の名の由来にもなったって知ってました?(鹿児島よかもん再発見)