守田山雲龍閣
浄喜寺
真宗大谷派
★☆☆
名鐘
伊藤氏参拝済
- 住所・電話
-
〒824-0018 福岡県行橋市今井1802
標高:3.8m
地図
GMAP
0930-23-0354
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歴史
伊藤氏メモ浄土真宗東本願寺の直末寺で、明応4年(1495)に開かれ、東本願寺の九州における最大の拠点となった。
寺伝によれば、開基の慶善(村上水軍の流れの村上良成)は蓮如の直弟子として、蓮如自筆の寺号を授かった。第3世良慶は、石山合戦(1570-1580)・鷺の森合戦(1580)で豊前門徒を率いて軍功をあげ、教如より「命の恩人」として賞賛された。
のちに細川忠興が小倉藩主となると寺領300石を与えられ、小倉城築城の総監督も務めたといわれ、堂々たる画像を寺に残している。 小笠原氏時代も寄進は続き、また毛利氏、小笠原氏や小倉藩家老宮本伊織(宮本武蔵の養子)の娘が当寺の住職に嫁いだり、水戸藩6代藩主徳川治保の実弟が2代続いて養子に入った。
天保9年(1838)には配下末寺・末庵は約100か寺であり、現在の本堂は、14世良雄が20数年かけ、文化14年(1817)に再建したものという。
浄喜寺の鐘楼にかかる梵鐘は大きく、銘文により、応永28年(1421)彦山(現:英彦山)霊仙寺(廃寺)の大講堂の洪鐘として、豊前国今井(現:行橋市今井)の藤原安氏という鋳物師が造り、寄進したものと判明する。この鐘は、明治時代初期の廃仏毀釈のときに、霊仙寺から今井に戻され、浄喜寺の所有となった。 (『福岡県の歴史散歩』より)()
本堂前には、「村上水軍井戸」がある。その脇の石碑の内容を下に記す。
村上水軍井戸
祓川の伏流水を水源とするこの井戸は古来より「水軍井戸」と呼びならわされてきました。
江戸時代初期までは、海岸線が間近にあり村上水軍の拠点としてこの地があった事の証です。
2008年1月 浄喜寺22世住職 釈良哲
ひとくちメモ
伊藤氏メモ本堂も古いが、本堂右手にある門徒会館の建屋はさらに古く400年ほど前に建てられたものという。ただし、必要な補修・改修等が行われており、外観的にはその古さはうかがえない。現第22世。()
寺域・本堂・山門の規模は当地区最大級である。 本堂前面の彫刻も見応え充分。 応永28年銘の梵鐘は普通に鐘楼内に提げられ、普段から打ち鳴らされているように見える。 余計な事かもしれないが、貴重な文化財、割れないか心配である。
写真
村上水軍井戸 山門 境内風景 - 山門を背にして撮影 本堂の天井 本堂 本堂 本堂前面の彫刻 境内風景 - 本堂を背にして撮影 村上水軍井戸 門徒会館 山門 - 庫裏を背にして撮影 鐘楼 梵鐘(応永28年銘) 梵鐘(拡大、「應永廿八辛丑」が読み取れる) 庫裏 庫裏前の梅の花 参道口 石橋(文久辛酉(1861)銘) 塀にあしらわれた三階菱 喚鐘 境内のネコちゃん(すぐになついてくれました) 境内のネコちゃん
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