heritage 光台山 瑞松院(ずいしょういん) 浄土宗 伊藤氏参拝済

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〒832-0041 福岡県柳川市片原町15-1   標高:6m 地図 GMAP 0944-73-2815 
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歴史

伊藤氏メモ柳川城主・蒲池鎮漣(かまちしげなみ)が龍造寺隆信に滅ぼされ、龍造寺家晴が柳川城に入った。 天正12年(1584)頃に柳川城を管理していた家臣の鍋島直茂は娘・たか姫を亡くし、墓のある本小路に寺を建て、たか姫の院号である光台院本覚妙隆大姉にちなんで光台山本覚寺と名付けた。天正15年(1587)に豊臣秀吉より領主として柳川藩に封じられた立花宗茂は、寺を本小路から現在地である片原町に移した。

立花宗茂の継室の八千姫(はちひめ)(矢島勘兵衛秀行の娘の八千子)は、諸大名の妻子と同様に幕府の人質として江戸にいた寛永元年(1624)に立花家江戸屋敷で亡くなった。八千姫の遺髪が当寺に葬られ、その院号の瑞松院殿英誉春峰光森大信女にちなんで瑞松院と改められた。当寺は八千姫の実家である矢島家の菩提寺でもあった。

また、柴田勝春の墓もあった。柴田勝春は、柴田勝家の息子(甥で養子)であり、父勝家とともに豊臣秀吉と戦ったが、天正11年(1583)賤ヶ岳の戦いで破れ、福井北ノ庄城陥落後、九州に落ち立花家に出仕した。元和6年(1620)立花宗茂が柳川藩に再封されると、その末裔は立花家に仕えた。(Links① より)

現第28世。本堂前面を覆う赤い扉が印象的である。柳川幼稚園を併設。()

伊藤氏メモ柳川藩初代藩主立花宗茂の正室の誾千代姫を祀る良清寺と、継室である八千姫(はちひめ)(矢島氏の娘)を祀る瑞松院は、道を挟んで向かい合っている。 夜になると良清寺と瑞松院から火の玉が飛び上がって上空でぶつかり合う光景が見られ、当時、柳川の人々は「誾千代姫と矢島の娘が喧嘩している」と噂していたそうである。()

ひとくちメモ

この辺りは古い町並みがみられるようだ。

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