興仁山
宗然寺
真宗大谷派
伊藤氏参拝済
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- 〒832-0816 福岡県柳川市三橋町久末1399-1 標高:7.5m 地図 GMAP 0944-73-7952
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歴史
伊藤氏メモ天正8年(1580)、大友氏の属城・荒平城(福岡市早良区)は、肥前の龍造寺軍に攻められ、城主小田部鎮元と嫡子九郎は戦死した。鎮元の二男源次郎(当時10歳)は、母とともに老臣鬼倉対馬守らに守られて、密かに荒平城を脱出。夜の油山越えをして、味方の立花城(糟屋郡新宮町)へ逃れた。
立花城主戸次道雪(のち、立花姓を名乗る)は、立花山麓の原上村に住居を与えて庇護した。やがて源次郎は、立花道雪に仕え、その豪勇さを知られるようになり、合戦に出ては戦功を立てた。源次郎は、小田部土佐守統房と名乗り、立花道雪死後は、その養子立花宗茂(当時は統虎)に仕えた。 天正15年(1587)、豊臣秀吉の九州評定後、立花宗茂は筑後柳川に移封され、土佐守も宗茂に従って立花山から移住した。
この年、土佐守は宗茂の妹千代(のちに、まつ子と改名)を妻に迎えた。 その後、土佐守は宗茂に従い肥後一揆や慶長の役などに出陣、宗茂と苦労を共にした。 元和9年(1623)土佐守は病のため柳川に近い久末の地で53歳でこの世を去った。土佐守の墓は、宋然寺にあり、その妻千代も同所に眠っている。(Links① より)()
ひとくちメモ
伊藤氏メモこぶりなお寺で、本堂はかわいらしい(失礼!)感じでした。()
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