田中山
真勝寺
真宗大谷派
★☆☆
真向き御影
伊藤氏参拝済
田中吉政の墓所
- 住所・電話
- 〒832-0032 福岡県柳川市新町5-10 標高:7.6m 地図 GMAP 0944-73-2239
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歴史
延徳年間(1489~1491)創建という。 門前の案内板によれば、慶長16年(1611)、柳川藩初代藩主田中吉政が深く帰依した寺院で、その遺命により二代藩主忠政がその遺骸を葬り、 その上に伽藍を建立したという。 本堂自体が吉政の墓である。
江戸期は当地域の東本願寺の触頭であったという。 本堂内には東本願寺教如上人より下付された旨の裏書があるという「親鸞聖人真向き御影」がある。
ひとくちメモ
にはじめてお参りした。 境内で吉政の墓碑への入口を探していると、住職が庫裡より出てこられ気さくに案内してくださった。(感謝感謝)。 墓碑は本堂床下にある。その位置は内陣の本尊阿弥陀如来像の真下という。
墓碑へは本堂左手の入口から高さ1mほどの床下を腰をかがめて向かう。 墓石は質素な四角柱で銘文は石が劣化して読み取れない。 住職の話しによれば、キリスト教徒の位の高い人の墓石にする石でつくられ、 キリスト教徒の参拝もあるという。 吉政・忠政父子がキリスト教信者に寛容であったことに由来するのではないかとの話しである。
山門はどっしりとした造りで、かなりの歴史を感じる。
伊藤氏メモ本堂床下の田中吉政公の墓へ行くには、庫裏玄関を上がって行く必要があり、お寺の方に拝観を申し出る必要があります(単独で、入口を探しても分かりません)。本堂は昭和63年に大改修。現第25世。()
写真
山門 本堂 本堂内の扁額(「田中山」) 鐘楼 山門前の石橋 田中吉政の墓石への通路-本堂床下 真向き御影 山門脇の田中吉政公顕彰碑 参道(右手前から光善寺、正応寺がある) 梵鐘 正応寺山門 光善寺の山門
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