heritage 寂性山 良清寺(りょうせいじ) 浄土宗 ☆☆☆ 伊藤氏参拝済 立花宗茂の正室誾千代の菩提寺

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〒832-0015 福岡県柳川市西魚屋町49   標高:8.1m 地図 GMAP 0944-72-4092 
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歴史

Linksのページによれば、開山は応誉、開基は柳川藩藩祖立花宗茂。 宗茂の正室の誾千代(ぎんちよ)立花道雪の娘)を弔うために元和7年(1621)に応誉を招いて建立という。

応誉は瀬高町上庄の来迎寺の第4世住職である。

歌手の松田聖子(蒲池法子)の生家の菩提寺でもあるという。

伊藤氏メモお寺でいただいた説明書によれば次のとおりである。()

誾千代は、大友氏の有力家臣であった立花道雪(戸次鑑連)の娘として誕生。 天正3年(1575)、道雪は、大友宗麟の許しを得て誾千代に立花家の家督を譲る。 日本の歴史においてもまれな女城主の誕生であった。 天正9年(1581)、同じく大友家有力家臣高橋紹運の嫡男統虎(後の宗茂)を婿に迎えた。 秀吉の九州国割りによって、 宗茂は柳川城主となる。その後慶長5年(1600)の関ヶ原の戦で豊臣方についた立花宗茂は、敗戦後、誾千代とともに加藤清正に庇護される身となった。その後、宗茂は赦しを得て上方に上がることになった。 誾千代は肥後に留まっていたが、慶長7年(1602)、享年34歳で逝去。 その翌年、宗茂は徳川家に召抱えられ、元和6年(1620)、柳川藩主に返り咲いた。20年振りに柳川に戻った宗茂は、 誾千代のため良清寺を建立して、その菩提を弔った。 なお、寺名は、誾千代の戒名の「光照院殿泉譽良清大禅定尼」に由来するものである。

伊藤氏メモ柳川藩初代藩主立花宗茂の正室の誾千代姫を祀る良清寺と、継室である八千姫(はちひめ)(矢島氏の娘)を祀る瑞松院は、道を挟んで向かい合っている。 夜になると良清寺と瑞松院から火の玉が飛び上がって上空でぶつかり合う光景が見られ、当時、柳川の人々は「誾千代姫と矢島の娘が喧嘩している」と噂していたそうである。()

ひとくちメモ

門前の通りは車の往来が激しい。 山門はかなりの年代を経たもののようでどっしりとした二階建てである。 本堂正面には二層銅葺の十一面観音堂(現在は納骨堂兼用)が建っている。

境内にある地蔵菩薩像は蓮華台座に多数の石仏を従えている。 なかなか凝った造りである。

伊藤氏メモ西国33所観音霊場の表札があり、本堂の向かいには十一面観音堂(現在は納骨堂兼用)がある。現第23世。()

写真

  • 本堂
    本堂 
  • 山門
    山門 
  • 山門-境内から撮影
    山門-境内から撮影 
  • 地蔵菩薩像-凝った造りである
    地蔵菩薩像-凝った造りである 
  • 十一面観音堂(現在は納骨堂兼用)
    十一面観音堂(現在は納骨堂兼用) 

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