蒲池三島神社
[三島神社]
神道
肥前鳥居
歴史
境内の案内板の内容を下に記す。段落は作者が挿入した。
三島神社
崇徳天皇天治2年(1125)、蒲池城主何某か伊豆国三島神社(今の静岡県三島市の三島大社)から勧請し、その後、蒲池城主・蒲池出羽守が紀伊国の熊野神社と筑後国の高良神社の分霊を移して合祀した。
主神は大山祇命。合祀の神々は伊邪那岐命・大山咋命・素戔鳴尊・武内宿祢である。
蒲池城主・蒲池治久は柳河城を築いたが、三島神社を柳河城鎮護の御宮として常に尊崇した。
天正9年(1581)、蒲池氏滅亡の時、社殿は破壊され、神宝・神剣・神輿・撞鐘等は肥前勢にうばい去られた。
天正15年(1587)、柳河城主となった立花宗茂は社殿を造営し、祭礼をもと通りにして神輿御幸・流鏑馬・能楽を奉納した。
立花宗茂にかわって柳川城主となった田中吉政、同忠政、および立花宗茂再封後の代々の柳川藩主も三島神社を尊崇し風水害虫害や国の重大事があるたびに祈祷を行った。
楼門前の石橋は寛永18年(1641)、立花家の家老・十時三弥が神社西北部の字田中後にあった巨石を運ばせて献納したもので弥生時代か古墳時代の石材と思われる。
拝殿北側の大石は古墳時代のものと考えられる。 一枚は記念碑の石材となっている。
本殿の後には弥生時代の貝塚がある。 神社の西方[1]には元和元年(1615)、田中忠政が献納した肥前鳥居がある。
神社の北側には三島神社の神宮寺であった浄光院の址がある。 同院は高良山の月光院[2]・酒見の摂取院と共に筑後の三院といわれ、もっとも権力があったという。
柳川市教育委員会
ひとくちメモ
未参拝の為、未稿。
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