大慈山
報恩寺
曹洞宗
★☆☆
梅
伊藤氏参拝済
- 住所・電話
- 〒832-0015 福岡県柳川市西魚屋町50 標高:7.6m 地図 GMAP 0944-72-2914
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歴史
伊藤氏メモお寺でいただけるパンフレットによれば次のとおりである。 「当寺の創建は、寛元3年(1245)筑後西牟田の地頭職西牟田筑後守家綱の子、西牟田筑前守家村が、 蛭池村(大木町蛭池)に建立した大興山慶雲寺に始まる。 この慶雲寺は大永5年(1525)の豊後大友氏の筑後侵入の争乱で兵火にあった。 その後、天正16年(1588)立花宗茂が柳川に封じられて後、再興された。その寺を、関ヶ原の戦の功績によって筑後領主となった田中吉政が、柳川城下に移築した。 慶長9年(1604)、開山として筑後の名刹千光寺(久留米市)第8世縦寅雲逸禅師を招請して曹洞宗となり、寺号を大慈山観世音院報恩寺と称することになった。」
「境内には松根光広(奥羽最上藩の騒動に絡み、柳川藩に流刑蟄居の生涯を遂げた、松根城の城主)の墓碑をはじめとして、 松根東洋城(松根光広の次男の家系で、宇和島伊達藩に仕えた松根図書の子孫で俳人)の句碑が残されている。 他にも名和氏一族の墓碑など歴史を感じさせる建立物が多数ある。」現第18世。()
ひとくちメモ
報恩寺の西側には県道770号線が通っている。 柳川市内を南北に貫通する車の往来の多い道である。 境内はその喧騒とは打って変わって静かなたたずまいである。
本堂・楼門共鉄筋コンクリート製でしっかりとした造り。 境内には満開の梅の木々の他多数の樹木が所狭しと植えられている。 多数の石仏も安置されている。
参拝の時、山門の位置が少しわかりづらいと思います。 県道702号線に面した南隣りの良清寺の山門のすぐ東側の狭い路地からお参りするのがわかりやすい。
写真
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