仏旗 鎮護国家山 正福寺(しょうふくじ) 浄土真宗東本願寺派  SYOUFUKUJI TEMPLE 七福寺 伊藤氏参拝済

  • 本堂
    本堂 
  • 参道口(左手の二階建ての建物が旧鐘楼堂と思われる)
    参道口(左手の二階建ての建物が旧鐘楼堂と思われる) 
  • 山門 - 境内より撮影
    山門 - 境内より撮影 
住所・電話
〒834-0031 福岡県八女市本町東矢原町323 標高:31.4m MAP GMAP 0943-22-2549
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筑後・福島城(城郭放浪記)
掛軸の中の幽霊

歴史

伊藤氏メモ旧福島城に面して建立され、城主田中久兵衛康政(筑後国主田中吉政の三男)が尊崇した。正福寺の西裏は旧福島城外堀の跡で、その名残が少し見られる。

奈良時代の天平年間729-749に、当寺の川崎庄に天台宗僧行基により開基された七福寺(正福寺、大福寺、東福寺、西福寺、南福寺、天福寺、地福寺)の一つとして、上妻郡柳瀬村に建てられたと伝えられている。

文明9年1477に、上妻郡中原城主中原五郎兵衛勝実が出家して自ら開基し賛善と号し、寺を現在地に移し真宗に属した。賛善は京都本山に赴き、門跡蓮如上人に謁し西善の法号を受け、上人直筆の六字名号を賜り寺宝となっている。

正徳3年1713、10世住職敬道師の代に山門を再建し、経蔵が建立されているが、その経蔵が現存していることは県内でも少なく貴重なものである。その頃が本寺の隆盛のときで、上妻郡谷川、矢部村、三潴郡庄島に末寺があったといわれているので、広範囲に檀家がいたことが分かる。

鐘楼堂は享保11年1726に建てられ、その柱の礎石に岩戸山古墳出土の石馬が使われていたが、現在は石人石馬が境内に保存されている。これは、慶長6年1601、福島城が大修築城されたとき、八女丘陵の古墳群から石材に使用するため運ばれているので、廃城のとき寺に残ったものと思われる。この寺に滑石経があるが、石人石馬とともに県文化財指定となっている。(『八女市報S55.2.1ふるさと探訪』より)()

参考:『八女市史』

ひとくちメモ

伊藤氏メモ青銅葺の本堂屋根瓦が美しく映える。福島幼稚園を併設。現第20世。()

朱色の山門とその左隣りの白壁造りの旧鐘楼の建物が印象的である。 広い境内には大楠・イチョウの大木がある。 お盆には幽霊の掛軸も公開されるようである。 周辺では古い町並みが良く保存されている。

写真

  • 山門
    山門 
  • 旧鐘楼(と思われる)
    旧鐘楼(と思われる) 
  • 境内風景 - 本堂を背にして撮影
    境内風景 - 本堂を背にして撮影 
  • 納骨堂(と思われる。2階に鐘楼あり)
    納骨堂(と思われる。2階に鐘楼あり) 
  • 門前の風景
    門前の風景 
  • 大楠
    大楠 
  • イチョウ
    イチョウ 
  • 北川の山門
    北川の山門 
  • 福島幼稚園
    福島幼稚園 
  • 梵鐘
    梵鐘 
  • 喚鐘
    喚鐘 

『八女市史』 第8編 寺社資料(p967)の内容

往古行基菩薩建立の上妻郡七福寺の一院にして其随一なりと云ふ。 文明元年1469真宗に轉派し讃善自ら開基となる。

豊後屋形の御代文明9年1477上妻郡中原の城主中原五郎兵エ勝實なる者出家して讃善と号す。 爾来變遷なく法燈を掲げ来り代々の住職殊に寺門の発展に資したる為めに寺格又昇れり。 然して開基は當時讃善と申しけるを真宗に帰依して本山より時の門跡蓮如上人に謁を賜ひ西善と法號を受け同時に 上人直筆の六字名號を奉持して帰山即ち開教に努め之れ蓮如上人の御形見の名號と稱せられ今尚保存せり。

越へて第10世敬道師に至り最も振ひ、 師又中興開山として當寺に記録を残せり。

山門は正徳3年1713敬道師の代再建。 鐘楼は享保11年1726に營み、庫裏は10間17間、本堂は9間8間たりし跡今にとゞむ。 即当寺は筑後一圓切っての名刹なり。

上の[宮及寺調]の項に創建時は天台宗であったこと。 福島城の真西にあり山門は城に向い、城主田中久兵衛(吉政の二男)が尊崇したお寺であったとの記事がみられる。

上の「七福寺」は八女市馬場天福寺(浄土宗)もその内の一ヶ寺であるようである。