山下山
浄福寺
[山下のお観音様・山下観音堂]
天台宗
★☆☆
閻魔堂
筑後三十三箇所観音霊場第30番札所
歴史
伊藤氏メモ浄福寺の創建については、僅か数年の違いであるが2説ある。
『立花町史』によると、元禄3年(1690)、長崎の村田伊右衛門という人が仏像を背負ってやって来て、この山下の地に安置した、と伝えられる。
もう一説、観音堂の前に立つ案内板によると次のとおりである。
山下の観音様は天和年間(1681-1683)に、天台宗建仁時の末寺として開基された。 柳川藩主によって山下に商人の町が設置されたのが天和元年(1681)であるので、これと同時期に地域の守護仏として、郷土の平安と商売繁盛を願って建立されたと思われる。
浄福寺こと山下観音堂は、昭和20年(1945)代までは、観音堂に尼僧が独り住んでお堂を守っていたが、その人も亡くなり無住となったという。現在は大牟田市大正町の如意輪山観音寺の住職が当寺の代務住職を務め、日頃は地元山下区の人々がお守りをしている。(『筑後の寺めぐり』より)()
ひとくちメモ
参道口は天満神社の鳥居のある所。脇に山下地区構造改善センターの建物と駐車場がある。 石段迄は天満神社と共通の参道となっている。 石段の登り口より左手に曲がると浄福寺の参道となる。 なお、天満神社の石段はほぼ一直線の急角度のものとなっている。 参道途中には閻魔堂がある。閻魔様は石造り。御手には金属製の剣をお持ちである。 さらに石段を登れば、本堂(観音堂)域にたどり着く。
一番奥に観音堂(本堂)がある。観音堂は扉が閉じられている。扉の前で合掌。残念。 観音堂に向かって右手は崖となっており、崖を50cmほどくり抜いた横長の場所に多数の石仏が鎮座。 皆、よいお顔をされておられる。崖がひさしのようになっている。 境内全体、木々に包まれ、しっとりとした味わいのある趣である。
本堂域の西側は天満神社の石段とつながっており、ここからも天満神社に登れます。 参拝当日は、雨上がり。長いものの出現を恐れ、早々退散した。 そのため、観音堂の扉は施錠されていたかどうかは未確認。また、天満神社へ登る事も断念。 またお詣りに上がろうと思う。
写真
観音堂 参道脇の「筑後三十番」の石碑 境内風景 - 観音堂を背にして撮影 天満神社の石段 - 浄福寺橫より参道口に向かって撮影 境内の石仏群 弘法大師と石塔 閻魔堂 閻魔堂 閻魔大王 - 閻魔堂内 閻魔大王(拡大・金属製の剣をお持ちである) - 閻魔堂内 参道(まっすぐ登れば天満神社、左手に曲がれば浄福寺) 参道口
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Links
①浄福寺