潮源山
清水寺
[清水禅寺]
臨済宗妙心寺派
★★★
梅
桜
観音堂
馬頭観音
名水/霊水
伊藤氏参拝済
生葉郡中三十三観音第33番
筑後三十三箇所観音霊場第4番札所
- 住所・電話
- 〒839-1408 福岡県うきは市浮羽町山北1941 標高:70.5m 地図 GMAP 0943-77-2265
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歴史
境内の案内板の内容を記す。
清水寺由緒(臨済宗妙心寺派(禅宗))
本尊 釈迦牟尼仏
起源
後深草天皇の建長元年(1249)、 常陸の国(現茨城県)の修行僧日用比丘が全国行脚の途中、この地に寄り 林の中の清浄な湧き水を発見、ここに滞留することを決意、 草庵を結び村人との交流、僧の徳に感じ村人は物資や労力を喜捨し、寺を建て、清水寺と呼んだ。 潮源山清水寺の呼称はここに起因す。
経過
天正年間(1537-1591)に大友宗麟の兵火にかかり荒廃していたが、 寛文8年(1668)久留米藩より社寺の復興が進められ、 梅林寺2世澤雲和尚は高弟の休岳和尚を入れさせ、 その師である月洲和尚を開山として再興を図った。 当時の禅寺は、庄屋や地主の一族が檀那となり、金品を喜捨して寺の経営を支えており、 彼らは、寺を檀那として尊崇していた。 以来200年法灯を嗣ぎ明治初年、大生寺14世滴川和尚が、 来住し、石垣、石段、山門等境内の環境整備に苦心し、現在の堂塔・伽藍が出来た。
上段の観音堂には、文明年間(1781-1788)日田の陸奥守親武及大蔵下野守武高が伝教大師の一刀三礼して彫ったという 観世音菩薩を勧請し、ご本尊として信仰されている。
また、観音堂は筑後の国33ヶ所観音寺のうち第4番札所として、大衆の巡礼の霊場として知られている。 檀信徒とは関係なく、地域の人々の信仰の対象として本堂の北東隅には地蔵堂があり、水子地蔵尊、石佛像を祭っており、 線香・ローソクの火は絶えない。
ひとくちメモ
門前の駐車場より、古びた楼門をくぐり進むと左手に湧き水場、石段を登ると観音堂、さらに進むと本堂がある。
楼門はかなりの年代物。その周辺はカエデの木が多数ある。楼門下の石畳もいい。
水場はまさに「名水百選」にふさわしい清涼な水がこんこんと湧き出ている。 かなりの水量である。(案内板によると一日700トン、年中水量に変化がないとのこと。伊藤氏メモ案内板の内容はこちら。) この水は地下をくぐり門前の石垣のトンネルを経て石垣下の水路に流れ出ている。
観音堂も歴史を感じる建物である。 「生葉郡中三十三観音第卅三(33)番札所」の木札が掲げられている。 その前には石灯籠が4基あり、延宝5年(1677)、元禄14年(1701)などの銘が判読できる。
本堂前にはしだれ梅の巨木がある。 梅の木は観音堂前にも多数ある。 門前はのどかな田園地帯となっている。 境内の石畳・地面はすべて苔むしている。 まさにこの地区一ニを争う古刹である。
写真
本堂 本堂前のしだれ桜の巨木 本堂前の門柱 地蔵堂 地蔵堂 本堂域の石仏群 本堂域の石仏群 馬頭観音像 樓門 樓門-境内から撮影 樓門前の石畳-楼門を背にして撮影 観音堂前の石灯籠 観音堂の扁額 観音堂 観音堂 観音堂 観音堂前の宝篋印塔 鐘楼 全景 全景 境内の三十三観音像 不動明王 再建地蔵 門前の石仏 本堂下の石垣 本堂下の石垣のトンネル(境内の湧き水場からつながっている) 門前の風景 世代墓 開山休岳和尚の墓碑 梵鐘
清水湧水の案内板の内容
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伊藤氏メモ清水湧水の水量・水質について、説明板に次のように記載されている。 ()
涌出量は1日700トン余り、年中ほとんど変化なし。背後に地下流域80ヘクタールに及ぶ涵養域をもつ。湧水口が小裂力で、流水量が制限されているため水量が安定している。また循環速度が速く、地下滞留期が短く、安定した水量であり、水質汚濁をきたさない。水温は17度。
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