金谷山 妙福寺 真宗大谷派[未] MYOUFUKUJI TEMPLE 日田街道久留米城路 伊藤氏参拝済
歴史
『吉井町誌』の第2節各寺院記の内容をそのまま記載する。
金谷山妙福寺 真宗大谷派(吉井町字福益内畑)
当寺は筑後国生葉郡星野城主星野右衛門大夫鎮実(左近大輔鎮実)が貞永元年12312月に菩提所として建立した。 創建時は天台宗後に禅宗となり金谷山延寿寺と称した。 後に鎮実の裔、福丸城主星野下野守鎮康の息民部亮実親は住職空西を導師として剃髪し了西と号し、 後嗣となって真宗に転じ、妙福寺と称した。(『寛文十年寺社開基帳』には大永元年1521空西開元すとある。)
当主は18世延寿寺唯称である。 境内に願人庵あり、前寺で星野一時氏が住している。
明暦元年1655有馬家2度目の西本願寺派追放の折、該当寺院として追放をうけ、筑前に亡命、 篠栗に西派の妙福寺を開創した。
本堂南の毘沙門堂には昆沙門天、阿弥陀仏の像を安置している。 鎌倉時代の作である。梵鐘は昭和25年の改鋳である。
ひとくちメモ
伊藤氏メモ苔の付着した石垣や古い山門に古刹の歴史を感じる。親鸞上人や蓮如上人などの言葉を刻んだ大きな石碑が脇の参道に3つ並んでいる。一番新しい石碑には、親鸞上人750回御遠忌お待ち受け・本堂修復/平成16年第19世の裏書が記されている。()