仏旗 霊鷲山 満願寺(まんがんじ) 浄土真宗東本願寺派[未]  MANGANJI TEMPLE 日田街道久留米城路 伊藤氏参拝済

住所・電話
〒839-1331 福岡県うきは市吉井町屋部681 標高:58.4m MAP GMAP 0943-75-2635
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歴史

『吉井町誌』の第2節各寺院記の内容をそのまま記載する。

霊鷲山満願寺 (吉井町大字尾部宇山渋)

和気清麻呂の子孫と伝える足立吉右衛門尉鎮元は福丸城主星野中務大輔に仕えて屋部を領していた。 領内に天台宗派の満願寺があり、其の頃は打続く戦乱に焚かれて廃寺となっていた。 焼跡に草庵を建て、居住していた人に玄説と言う人がいたが、鎮元は彼を師と頼み剃髪して、 了智と号し、師の後を嗣いでいた。 了智は慶長9年1604本願守12世教如上人に帰依して真宗となり、帰国して慶長10年16053月小堂を創建し、 満願寺を再興した。 3世楕円の時、寛文10年16704月寺は再建、規模を拡大して今日に至っている。

当主は17世足立暁修である。 梵鐘は昭和27年再鋳である。

〔備考〕牛鳴峠の南方耳納連峯の東端に方貫寺城(満願寺城)があった。 城址に向う途中に寺屋敷と呼ぶところが今も残っている。 鐘楼、僧坊の跡と思われるところがあって、今も瓦の破片を見出すことが出来る。 当寺の玄堂師は俳人で水月庵古天と号し日田、広瀬月化に師事、久留米水野淡水と親交あった人である。「上洛紀行」 「夢日記」が残されている。文政9年1826正月16日没。

ひとくちメモ

未参拝の為未稿

伊藤氏メモ現第18世。山門手前から本堂・庫裏までの歩行部分は、花崗岩・御影石で造られており歩きやすくなっている。山門階段横の小池からは水音が絶えない。平成20年改修の彼岸堂(納骨堂)の薄桃色の外壁が印象的。()