仏旗 高教山 浄満寺(じょうまんじ) 浄土真宗東本願寺派  JYOUMANJI TEMPLE 日田街道久留米城路 吉井の町並 伊藤氏参拝済

  • 本堂
    本堂 
  • 門前の日田街道
    門前の日田街道 
住所・電話
〒839-1321 福岡県うきは市吉井町1165−8 標高:34.7m MAP GMAP 0943-75-3275 
検索
同地区同宗派寺院  4km以内

歴史

『吉井町誌』の第2節各寺院記の内容をそのまま記載する。

高教山浄満寺 真宗大谷派(吉井町字上新町)

野上大和守の嫡男資閑は父没後本願寺9世実如に帰依、剃髪して円受、延徳2年14904月帰国し吉井村に一宇を創建した(『浮羽郡風教資料』)。 大永元年1521、了善は本願寺9世実如上人の弟子となり、堂一宇(5間に7間萱葺)を、吉井村に建てた。 天文5年1536、3代妙善(『寛文開基帳』には妙尊とある)の時堂宇を再建した(『浮羽郡誌』)。 文化12年1815、正月3日吉井町の大火に類焼。文政8年1825に再建、戦後昭和22年本堂の大修理を行ない、昭和30年、山門を建造した。当主は20世野上観成である。

梵鐘 県指定文化財

戦時中金属回収の国策にそい鐘楼より下され搬出寸前に、古文化財的価値を認識された方々の努力により、 幸に危機を脱し、現在納骨堂(昭和40年3月建造)上の鐘楼に保存されている。 梵鐘の由来は次の通りである。

寛永7年163011月22日、日田市大原山神宮寺(現大原神社の境内、神仏混淆の頃に神宮寺があった。)の為に鋳造された梵鐘である。 鐘銘は寛永13年1636鏤刻(るこく)。 銘文の選者は京都妙心寺住職の東寔(とうしょく)である。東寔は大舟宝鑑国師、即ち妙心寺の管長に就かれた愚堂和尚である。 明治初年神仏分離で神宮寺廃止となり、梵鐘は不用となっていた。明治5年、之を譲り受け浄満寺の所有となっている。 鐘の運搬については、『浮羽郡誌』に「当時は船下しとその前後に非常な人海戦術がとられたものである。檀徒総出で筑後川河畔まで仰えに行き、 長い曳き網を握り、幼い稚児を先にたてて、三味線大鼓の鳴り物入りで、掛け声ものどかに、一寸やりに曳いて来たものといわれている」と記している。

ひとくちメモ

本堂・山門は重厚な造り。 門前は日田街道である。

浄満寺の東側の路地は草野宿で西側から数えて3番目の枡形構造道路の始まりである。 門前の古い町並みは必見である。

伊藤氏メモ明治23年、浄満寺寺域内の宝琳寺光琳寺が脇寺として分家独立。3兄弟の一番上が浄満寺を、2番目が宝琳寺を、3番目が光琳寺を継ぐ。現第22世。通り側に面して立派な山門がある。また、当寺東側の小路には、「堀田の井戸(解説表示板あり)」がある。()

写真

  • 全景
    全景 
  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 門柱碑
    門柱碑 
  • 山門
    山門 
  • 山門の扁額
    山門の扁額 
  • 山門 - 境内から撮影
    山門 - 境内から撮影 
  • 境内風景 - 本堂を背にして撮影
    境内風景 - 本堂を背にして撮影 
  • 手水舎
    手水舎 
  • 寛永7年銘の梵鐘が架けられているという鐘楼(納骨堂の屋上)
    寛永7年銘の梵鐘が架けられているという鐘楼(納骨堂の屋上) 
  • 喚鐘
    喚鐘 


関連寺院(※過去に関連していた寺院も含みます。必ずしも現在関連している寺院とは限りません。)