五葉山
大生寺
[大生禅寺]
臨済宗妙心寺派
★★★
仏殿
行基
多数の小堂
伊藤氏参拝済
うきは市の街並の眺望
生葉郡中三十三観音本部
- 住所・電話
- 〒839-1411 福岡県うきは市浮羽町流川478 標高:111.9m 地図 GMAP 0943-77-2362
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歴史
境内の案内板の内容を記す。
五葉山大生寺(臨済宗妙心寺派)沿革
往昔当時は奈良時代行基菩薩(668-749)によって民衆救済の道場として創建された。 桓武帝延暦元年(782)には五臺山大聖寺と称し。勅願寺となった。 月谷和尚の時に、天台宗に改宗して、以来鎮護国家、致福銷災の寺として、 密教の秘法を以て衆生を済度した。 時代の推移と共に、旧仏教は堕落し、 他方新仏教の競い興るなかで、やがて当寺も衰微していった。
明徳2年(1391)曹洞宗の無着妙融禅師によって再興、 五葉山大生寺と改めた。 寺号は当地浮羽郡の旧名生葉の二字を採って命名された。 以来曹洞禅の宗風大いに振い九州三大禅屈の一つとして寺名高く、 ニ筑一肥(筑後、筑前、肥前)に末寺275ヶ寺をかぞえる本山となり、山内に塔頭7ヶ寺を擁したと伝えている。
天正年間(1573-1591)大友氏による寺院焼却、寺領没収にあい、 戦国動乱のすすむなかで、寺運は漸次に衰微した。
後、 慶安元年(1648)有馬忠頼公[1]は、 梅林寺二世澤雲和尚に当寺の復興を命じた。 よって、澤雲和尚は高弟月洲和尚を派遣入寺せしめて再興をはかった。 公は寺禄30石、山林70町歩を寄進して護持をはかった。 以来勧請開山は澤雲和尚、創建開山は月洲和尚となって、法燈連綿18世をかぞえ、 臨済の栄西、白隠の禅風を挙揚して現在に至っている。
明治維新並に昭和敗戦に際しては、先には寺禄山林の奉還、廃仏棄釈に、 後には農地開放と、それぞれ変革の危急に直面し、寺院の護持に多難であったが、 前者には、歴代の和尚あって。諸善知識の徳化と護持の努力によってともに復興の実を挙げ、 檀信徒の帰依も亦日を逐って加わり、名声漸く高きに至っている。
大雄寶殿の案内板によれば、本堂正面の小高い所にある仏殿(大雄寶殿)は貞享4年(1687)に博多聖福寺より移築されたものという(うきは市指定文化財)。 中には下記の仏像が安置されているという。
- 薬師如来:伝天平3年(731)に行基が在任中の作
- 賓頭盧尊者木像:国内三体の一作。賓頭盧尊参照のこと。
- 十二神将:伝永禄・天正の戦乱で焼失。天和2年(1682)に再現。京都四条下町東洞院の長慶仏師の作
伊藤氏メモ童謡「山寺の和尚さん」に出てくる和尚さんは大生寺の第8世蔦道和尚という言い伝えがある。 記事はここをクリックしてください。()
参考:『太宰管内志』
ひとくちメモ
大生寺は耳納連山鷹取山北東側中腹に伽藍を構えている。 広い境内である。 本堂は間口10間奥行7間(数え間違いの可能性がある)の巨大な建物である。 本堂の正面には博多聖福寺から移築されたという仏殿がある。 境内からはうきは市の街並が一望できる。
仏殿南側の雑木林の中には木造の祠が多数ある。 雑木林の中のそれぞれの祠を結ぶ山道(一部歴史を感じる石畳あり)は苔むしており、スニーカーで歩いたが滑りころぶのが怖かった。 それぞれ番号がふられた木札がかかげてあり、確か33が最大であった。 あまりにも数が多いので数えきれなかったが33あるのかもしれない。 それぞれの祠はかなり傷んでいるのが残念である。
本堂に向って左手側面軒下には駕籠がさげられている。これは同じ耳納山北側(大生寺の西方約10km)に伽藍を構える曹洞宗龍護山 千光寺でもみられた。
参道脇には世代墓の領域があり、ほぼ全ての墓碑の上には○印が刻印されている。これはさとりの境地の意味か?
平地から、妻と二人で念仏3号(バイク)にてタンデムで登る。 かなりの曲がりくねった坂道である。 最後100mは路面に苔が生えており転倒するかとはらはらした。 お参りは車のほうが無難。 広い駐車場あり。 一度では味わいつくせない名刹である。 何度も訪れたいお寺の一つである。
写真
本堂の扁額 山門 中門 中門 - 境内から撮影 中門の扁額 本堂(写真右が正面) 本堂(南側面) 本堂側面に吊り下げられた駕籠 鐘楼 山門前の巨大な五重の石塔 庫裡 参道 仏殿の扁額 仏殿 庫裡前の石灯籠(寛政12の銘) イチョウの巨木 境内から眺めるうきは市の街並 境内風景 境内風景 境内風景 境内風景 境内風景 境内風景 境内風景 境内風景 境内風景 境内風景 境内風景 境内風景 境内風景 境内風景 境内風景 境内風景 世代墓(ほぼ全ての墓碑の上には○印が刻印されている) 世代墓 梵鐘 庫裡前のワンちゃん。かなりの老犬である
童謡「山寺の和尚さん」に出てくる和尚さんは大生寺の第8世蔦道和尚という言い伝え
伊藤氏メモ♪♪ 山寺の和尚さんが鞠はけりたし鞠はなし 猫をかん袋に押し込んで ボンとけりゃニャンとなく ニャンがニャンとなく ヨイヨイ ♪♪
日向(宮崎)の古月師について修行の後、白隠という有名な老師のところに修行にやられ厳しさのあまり禅病にかかってしまいました。袋に入れた猫をけってたわむれた歌は、蔦道和尚が禅僧の厳しい修行の途中、狂人のようになった姿をうたったもののようです。
そして病をおして老師のお供をしていましたが、龍谷寺(兵庫県)でとうとう狂態となり大生寺に帰山しました。その後、6年間の監禁のような生活の間にありとあらゆる苦労を経験し、病気も克服、仏教の本旨を発揮して皆から敬われたといいます。(『みのうの豆本』より)()
『太宰管内志』筑後之2 生葉郡 ○大生寺の項
○大生寺
(前略)『筑後誌三巻』に大生寺は生葉郡流川村にあり云々先君瓊林公[2]寺田30石寄附し給へり云々 末院ハ同郡朝田村西光寺・同小坂村松樂寺・同山北村淸水寺是なりとあり、 寺は大生寺山ノ麓にあり、西北の間に向へり。
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