三国境石
史跡
☆☆☆
歴史
三国境石は、国道3号線の三国信号の南東側直線距離で約300mほどの丘の上にある。 『長崎街道開通400年記念特別展長崎街道世界とつながった道』によれば、文化2年(1805)完成という。 筑前・筑後・肥前の三国境の地点を示すものである。
三国境|原田宿|長崎街道 も参照のこと。
ひとくちメモ
基石の周囲には3個の穴が掘られており、そこに埋め込まれていた石はもう無い。 右写真の三国境石位置図によれば、消失している3本の石にはそれぞれ、 「從是西南 肥前國對州領 基肄郡城戸抱」 「從是北 筑前國 御笠郡原田村抱」 「從是東 筑後國 御原郡三澤村抱」と書かれていたという。 中央に円筒形の石があり三面に「三国境石」と彫られている。
その南側ほぼ100mほどの林の中に高さ60cmほどの控石がある。 控石はもう一つあるようだが、事前調査不足で作者は確認できなかった。
この場所は南隣の東明館小学校の敷地となっており、その場所に入るのには同校の許可が必要である(2013-01-19現在)。 三国境石の北側は崖となっており、また雑木林の中の為単独行は危険である。
写真
三国境石から眺める下の温泉施設 南側控石全景 南側控石(南西向き)「御原郡三澤村抱」 南側控石(東南向き)「従是東南筑後国」 南側控石(北東向き)「文化2乙丑7月建立」 三国境石位置図(『長崎街道開通400年記念特別展長崎街道世界とつながった道』より引用。文化2年(1805))
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