仏旗 戸板大日(といただいにち) [山神社] 不詳  TOITA-DAINITI 背振千坊 棚田

  • 大日如来
    大日如来 
  • 戸板大日 - 『『筑前國続風土記附録』挿絵
    戸板大日 - 『『筑前國続風土記附録』挿絵 
  • 石段(大日如来と御神体参拝用に2つ設置されている)
    石段(大日如来と御神体参拝用に2つ設置されている) 
  • 薬師堂
    薬師堂 
住所
〒811-1236 福岡県那珂川市南面里1049-1 標高:274.8m MAP GMAP  
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同地区同宗派寺院  4km以内

歴史

『筑前國続風土記附録』巻之8 那珂郡 下 戸板の項に下記の記事がある。

山祗社神殿拝殿造り續方9尺・祭禮10月13日・奉祀佐伯河内

産神なり。祭る所大山祗命也。 此祠の事本編に見ゆ。

岩戸 本編に詳なり。 岩戸の前に拝殿あり。 今ハ権現小祠を拝殿に祭れり。

薬師堂本編に見ゆ。

大日如来の磨崖仏は右の『附録』の挿絵のまま。保存状態は良好である。 ただ、挿絵では山神社が山の裏手にあるように描かれているが、現在は磨崖仏の隣に鎮座している。 作者は山の裏手に回って神社の遺構など確認しようとしてみたが、山裾の小川に阻まれ断念。

参考:『筑前國続風土記』

ひとくちメモ

磨崖仏の参道口には動物よけの鉄格子が設置されている。 作者はその前で「立入禁止」ではないかと思い危うく引き返す所であった。 念の為、鉄格子を確認すれば、スライド開閉式となった部分があり、目出度く境内に入る事ができた。 「立入禁止」の表示も無く、多分OKであろう。

石段はつごう、約60段。参道口から中間地点の平坦面まで1本。そこより2本に分かれる。 向って右手の石段前には鳥居。左手の石段脇には石仏が彫られた石塔が立っている。 どうやら、この2つの石段は左手が大日如来の参拝用。右手が山神社への参拝用のようである。 左手の石段をさらに登ると、大日如来が彫られている平坦面にたどり着く(右手の石段でも同様)。

石段を登り切ると、目の前が拝殿となっている。 さて、肝心の「大日様はどこかいな?」と探すと、見当たらない。 拝殿の裏手は巨岩ギリギリに建てられている。 従って裏手にも回りこむことは出来ない。 仕方なく、靴を脱いで拝殿にあがる。 まっすぐ進むと「あったあった!!」。 大日様は拝殿より1mほど先の岩に刻まれている。 拝殿の前面に座って見上げる感じである(座らないと拝めない)。 『附録』の絵のまんまである。 寸法も『風土記』に記載されている「其高5尺1寸1.5mほどである。 拝殿の中で一人ニヤニヤ。ちょっとした達成感。

拝殿に向って左手には、『風土記』に記載されている通り、薬師堂もある。 大日如来に向って右手の山神社の御神体が安置されている小祠は岩に張り付いている。 中は暗くて良く見えなかったが、岩を繰り抜いた中に御神体が安置されているようである。

拝殿内に掲示されている改築・氏子の一覧(総員約40名。昭和56年銘。)に記載されている氏子の方々は全て「築地」姓である。

周辺には棚田が多数見られる。

背振千坊について(素人的推測)

この大日如来は背振山頂上付近にあったとされる背振東門寺に縁のあるものではなかろうか? その根拠は単に距離の近さだけではあるが。。。

『筑前國続風土記』に「岩戸のさきより早良郡板屋村へ越る道あり。是を戸板越と云。嶺たうげに杖取と云所あり。これ早良郡那珂郡の境なり。(中略)嶺より南の方板屋村に下るには、坂ひくし。是を以て板屋村の地甚高き所をしるべし。」との記事が見られる。 GoogleMapで見ると、今はこの道は途中で途切れているように見えるが、「獣道(けものみち)」程度であれば、まだあるのかも知れない(板屋の山神社までの直線距離:3.2km、そこより背振山頂上迄現在の道なりに5.0km。併せて約2里強)。 急な坂道などあったとしても昔の人の足では3時間程度の距離の近さである。

ルート

当場所へのルートは次の2つあるようである。 ①福岡市西区からだと県道26号線から脇道へ入るコース(車28分、徒歩48分)。 ②那珂川市からだと県道385号線から脇道へ入るコース(車28分、徒歩48分)。 ①②共図らずも同じ時間(GoogleMapで計算)。 作者は①のコースから参拝したが、道は途中よりかなり狭く急坂も多数。 路肩にガードレールも無い道もある。但し舗装はきれいにされている。 作者はバイクにて参拝したが、少し危険を感じた。 車は通行可能であるが、運転に自信の無い方は危険。 当地点の標高375m(GoogleEarthで測定)。

すぐ脇に民家があり、単独行でもわりと安心できる。ただし、イノシシ・サルは出没するようである。

写真

  • 大日如来
    大日如来 
  • 参道口(右手に看板)
    参道口(右手に看板) 
  • 拝殿内(左手が拝殿内の小祠、中央が御神体の安置された小祠、右手が大師堂)
    拝殿内(左手が拝殿内の小祠、中央が御神体の安置された小祠、右手が大師堂) 
  • 拝殿内に飾られた彫刻
    拝殿内に飾られた彫刻 
  • 拝殿内に飾られた彫刻
    拝殿内に飾られた彫刻 
  • 氏子一覧表(昭和56年銘。全て「築地」姓!!)
    氏子一覧表(昭和56年銘。全て「築地」姓!!) 
  • 拝殿内に向って右手奥の石塔
    拝殿内に向って右手奥の石塔 
  • 大師堂(岩に寄りかかっている)
    大師堂(岩に寄りかかっている) 
  • 大師堂内
    大師堂内 
  • 御神体の安置された小祠内(岩を彫ってその中に安置されているようである。)
    御神体の安置された小祠内(岩を彫ってその中に安置されているようである。) 
  • 薬師如来像(薬師堂内)
    薬師如来像(薬師堂内) 
  • 薬師堂(手前)と拝殿
    薬師堂(手前)と拝殿 
  • 石段途中の石塔
    石段途中の石塔 
  • 石段途中の石塔と水盤
    石段途中の石塔と水盤 
  • 束額
    束額 
  • 鳥居
    鳥居 
  • 石段
    石段 
  • 参道口 - 境内石段途中より撮影
    参道口 - 境内石段途中より撮影 
  • 参道口(動物よけの鉄の扉が設置されている)
    参道口(動物よけの鉄の扉が設置されている) 
  • 周辺の棚田の風景
    周辺の棚田の風景 
  • 周辺の棚田の風景
    周辺の棚田の風景 

『筑前國続風土記』巻之6 那珂郡 下

○戸板越

南面里村の枝村に戸板と云所あり。 本村の上(いよいよ)高き所にあり。 其所に岩戸とて高3間半6.3m根の廣さ面8間2尺15.1mある大岩あり。 民俗の説には天照大神岩戸に籠給ひし時の扉の片戸にて、右の片戸は大和國宮戸村[1]片戸明神是なりと云。 かやうの俗説は世に多き事なれば、是非を辯ずるに及はす。 奇異なる大岩なれば、いにしへより里民岩戸といふならはせるなるべし。

岩の面は東に向へり。 其面に大日の佛像を刻付たり。 座像なり・ 其高5尺1寸1.5mあり。 此岩戸あるによりて、此下なる郷を岩戸と號すと里民はいへり。 されども此村山田村の邉は岩戸とは稱せず。

其大石の前に小社あり。里民権現と稱す。 左に小さき薬師堂あり。 後ろに山祗(やまのかみ)の社あり。 此里の産霊なり。

岩戸のさきより早良郡板屋村へ越る道あり。 是を戸板越と云。 此道の間大石多くさまざまものの形に似たる岩あり。 (たうげ)に杖取と云所あり。 これ早良郡那珂郡の境なり。 南面里より此所に上るには、 坂の間甚長く山高し。 嶺より南の方板屋村に下るには、坂ひくし。 是を以て板屋村の地甚高き所をしるべし。


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