heritage 垂乳根薬師(たらちねやくし) 仏教礼拝所 ☆☆☆ お乳 山神社 那珂川八十八ヶ所霊場第40番札所

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〒811-1234 福岡県那珂川市五ケ山   標高:280.6m 地図 GMAP
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歴史

『筑前國続風土記附録』巻之8 那珂郡 下 道十里の項に「○薬師堂(キタガハ)」とある。 同書が編まれた江戸後期にはすでに当薬師堂はあったようだ。

もとは道十里にあったが、南畑ダム[1]建設に伴い、現在の位置に移された。 7月8日が大祭で、他所に移り住んだ人達が参詣に来る。 当薬師如来は眼病にご利益がある。 薬師堂の元あった水没した位置にはイチョウの大樹(根回:12.4m、高さ37.5m)があった。 水没前には乳飲み子を持つ母親が、乳が出るようにお参りしたので垂乳根の銀杏(たらちねのいちょう)という名で呼ばれていた[2]。(『郷土史那珂川』より[3])

薬師堂の脇に「水没記念碑」が立っている(年号銘などは未確認)。御堂の南隣には山神社の鳥居と石段ががある。

御堂内に祀られている薬師如来と十二神将のある程度鮮明の画像は当ページ下部に掲示します。 枯死した垂乳根銀杏の画像も当ページの下部に掲示します。

那珂川八十八ヶ所霊場第40番札所(本尊:薬師如来)となっている。

ひとくちメモ

薬師堂の前は道路を挟んで南畑ダムの湖である。 コンクリート製。間口は2間ほど。御堂の扉は施錠されており格子戸越しの参拝となった。 御堂奥に祭壇があり、十二神将と思しき尊像が確認できるがご本尊は確認できない。 十二神将の一部は倒れている。広い御堂内はかなり荒れている。

ダム建設の為、御堂のお守りをされていた地元の方々はやむなく移転されたのだろう。 今では世話が行き届かなくなっているようだ。

写真

  • 祭壇
    祭壇 
  • 祭壇の額(本像薬師如来)
    祭壇の額(本像薬師如来) 
  • 祭壇内(十二神将と思しきものが見えているが、一部倒れている)
    祭壇内(十二神将と思しきものが見えているが、一部倒れている) 
  • 薬師堂
    薬師堂 
  • 看板(かなり色が薄くなっている) - 薬師堂横
    看板(かなり色が薄くなっている) - 薬師堂横 
  • 石塔(中央の大きなものは「水没記念碑」)
    石塔(中央の大きなものは「水没記念碑」) 
  • 遠景(左手の赤丸に薬師堂、右手の赤丸に山神社の石段が見える) - 国道385号線より撮影
    遠景(左手の赤丸に薬師堂、右手の赤丸に山神社の石段が見える) - 国道385号線より撮影 
  • 境内のシャガの花
    境内のシャガの花 

薬師如来と十二神将

薬師如来(拡大) - 『郷土なかがわ 第1巻』(那珂川観光協会 1984年07月)より引用
薬師如来(拡大) - 『郷土なかがわ 第1巻』(那珂川観光協会 1984年07月)より引用 
薬師如来と十二神将 - 『郷土なかがわ 第1巻』(那珂川観光協会 1984年07月)より引用
薬師如来と十二神将 - 『郷土なかがわ 第1巻』(那珂川観光協会 1984年07月)より引用 

掲示している画像は、1984年以前に撮影されたもののようだ。撮影場所は移転してきた現在の薬師堂内と思われる。

尊像達の雄姿をご覧下さい。

上でも述べたが、薬師堂の扉は施錠されており、かつ祭壇は格子戸が設置されており、 内部の様子はよく見えない。

遠目にみると、祭壇内はかなり荒れているようだ。


枯死した垂乳根銀杏

水没前の垂乳根の銀杏図 -『郷土誌那珂川』(那珂川町教育委員会/編者 1976年)より引用
水没前の垂乳根の銀杏図 -『郷土誌那珂川』(那珂川町教育委員会/編者 1976年)より引用 
垂乳根の銀杏 - ダム湖東岸より撮影
垂乳根の銀杏 - ダム湖東岸より撮影 
垂乳根の銀杏 - ダム湖東岸より撮影
垂乳根の銀杏 - ダム湖東岸より撮影 
垂乳根の銀杏(ヤドリギが芽吹いている) - ダム湖東岸より撮影(望遠)
垂乳根の銀杏(ヤドリギが芽吹いている) - ダム湖東岸より撮影(望遠) 
垂乳根の銀杏(気根(お乳は確認できない)) - ダム湖東岸より撮影(望遠)
垂乳根の銀杏(気根(お乳は確認できない)) - ダム湖東岸より撮影(望遠) 
垂乳根の銀杏 - ダム湖東岸より撮影
垂乳根の銀杏 - ダム湖東岸より撮影 
遠景(垂乳根の銀杏は赤丸内。薬師堂は画像の右端の先(写っていない)) - ダム湖西岸より撮影
遠景(垂乳根の銀杏は赤丸内。薬師堂は画像の右端の先(写っていない)) - ダム湖西岸より撮影 
垂乳根の銀杏 - ダム湖西岸より撮影(望遠)
垂乳根の銀杏 - ダム湖西岸より撮影(望遠) 
垂乳根の銀杏 - ダム湖西岸より撮影(望遠)
垂乳根の銀杏 - ダム湖西岸より撮影(望遠) 
垂乳根の銀杏(根本) - ダム湖西岸より撮影(望遠)
垂乳根の銀杏(根本) - ダム湖西岸より撮影(望遠) 
垂乳根の銀杏(中断) - ダム湖西岸より撮影(望遠)
垂乳根の銀杏(中断) - ダム湖西岸より撮影(望遠) 
垂乳根の銀杏(上部) - ダム湖西岸より撮影(望遠)
垂乳根の銀杏(上部) - ダム湖西岸より撮影(望遠) 

垂乳根銀杏は薬師堂の前から道なりに200mほどダム湖の岸を進んだ所に立っている。 場所はこちら

ダムの水位が下がっているせいだろう、根本まで地上に表れている。

銀杏の上部に葉の付いた枝が伸びている。まだ生きている、と一瞬小躍りして喜んだがよくみれば、 葉の形状が銀杏ではない。ヤドリギの類が芽吹いたもの。 残念無念。

木の根本までは危険なため下りれない。 掲示している画像は銀杏が立っているダム湖の東岸からと西岸から撮影したものである。 カメラのファインダーを通して望遠で見るとかなりの巨木であることがわかる。 ただ、気根(お乳)は確認できない。残念。

南畑ダム(その上流の五ケ山ダムも併せて)のおかげで、この下流域にある福岡県内の地域の水道用水の安定供給がなされるようになった。 ダム湖建設に協力した集落の住民は移転。足の無い当銀杏をはじめ多くの植物は水底に取り残され枯死。 合掌・念仏。


山神社

山神社
山神社 
山神社の社殿(小さな石祠が祀られている)
山神社の社殿(小さな石祠が祀られている) 

当社境内は水没は免れたが、境内には神殿・社殿等は無いようだ。 一ノ瀬の日吉神社に合祀されたと言われるが、集落の離村とともに廃されたという異説あり。(Links③ より)

『筑前國続風土記附録』巻之8 那珂郡 下 道十里の項に下記の記事がある。

山祇(やまのかみ)(神殿方4尺・拝殿2間半3間・祭礼10月15日・奉祀堺若狭)

道枝折(みちしおり)[4]・桑ノ河内の産神也。 西ママは道枝折にあり。 祭る所網取の神におなし。 此祠には木花開耶姫命1座に合わせて3座とす。(以下略)


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脚注