明劍山
光雲寺
[岩陰遺跡・小原字不動]
仏教礼拝所
歴史
境内の案内板の内容を下に記す。
岩陰遺跡 明劍山光雲寺(小原字不動)
小原中村地区西側山裾にある全長82m、奥行き6mの洞窟遺跡である。 窟の周辺より縄文、弥生期の石鏃土器等が発見されている。 「求菩提山縁起豊洲修験文化攷」によれば、「養老(713-723)の頃、行善和尚(求菩提山[1]開山)が鬼ケ洲の魂塚(鬼塚)で白山大権現の示現に会い、衆生済度の妙法と一振りの剣を得た。山野に跋渉する内に、この大石窟を発見し、奇雲瑞雲たなびく霊地なることを知り、その神剣をこの地に納め、一棟の精舎を建て、不動明王を安置した」と記す。
又、「豊鐘善鳴録」によれば「延喜年中(901-922)」釈賢清俗譜有門、豊州築城郡小原村の人、求菩提山知堅和尚に師事し、学に励み、内典も博く通じ賢之処に補せられた。 数年山中に住み修行、晩年故郷に帰り俗世を避け、この石窟に住み、精舎を建て不動尊を安置、 明劍山光雲寺と称した。祖師行善和尚が神剣を納めたゆかりの地である。」と記す。
以降、光雲寺住職は求菩提山から派遣された。 享保(1716-1735)の頃、中興の祖と云われた僧月船の手書一字一石塔(前方竹林中)や大乗妙典一字一石塔、墓塔が不動堂傍に存す。
椎田町教育委員会 椎田町文化財研究協議会
ひとくちメモ
未参拝の為、未稿。