heritage 明劍山(めいけんざん) 光雲寺(こううんじ) [岩陰遺跡・小原字不動] 仏教礼拝所

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〒829-0304 福岡県築上郡築上町小原301   標高:63.7m 地図 GMAP
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歴史

境内の案内板の内容を下に記す。

岩陰遺跡 明劍山光雲寺(小原字不動)

小原中村地区西側山裾にある全長82m、奥行き6mの洞窟遺跡である。 窟の周辺より縄文、弥生期の石鏃土器(せきぞくどき)等が発見されている。 「求菩提山縁起豊洲修験文化(こう)」によれば、「養老(713-723)の頃、行善和尚(求菩提山[1]開山)が鬼ケ(しま)魂塚(たまづか)(鬼塚)で白山大権現の示現(じげん)に会い、衆生済度の妙法と一振りの剣を得た。山野に跋渉(ばっしょう)する内に、この大石窟を発見し、奇雲瑞雲たなびく霊地なることを知り、その神剣をこの地に納め、一棟の精舎(しょうじゃ)を建て、不動明王を安置した」と記す。

又、「豊鐘善鳴録(ほうしょうぜんめいろく)」によれば「延喜年中(901-922)釈賢清俗譜有門(しゃくけんせいぞくふありもん)、豊州築城郡小原村の人、求菩提山知堅和尚に師事し、学に励み、内典(ないてん)(ひろ)く通じ賢之処(けんのしょ)に補せられた。 数年山中に住み修行、晩年故郷に帰り俗世を避け、この石窟に住み、精舎を建て不動尊を安置、 明劍山光雲寺(めいけんざんこううんじ)と称した。祖師行善和尚が神剣を納めたゆかりの地である。」と記す。

以降、光雲寺住職は求菩提山から派遣された。 享保(1716-1735)の頃、中興の祖と云われた僧月船(げっせん)の手書一字一石塔(前方竹林中)や大乗妙典一字一石塔、墓塔が不動堂傍に存す。

椎田町教育委員会 椎田町文化財研究協議会

ひとくちメモ

未参拝の為、未稿。

関連ページ(※歴史的に過去に関連していた神仏施設他も含めています。必ずしも現在関連しているとは限りません。)

脚注