heritage 妙見山 光明寺(こうみょうじ) 真宗大谷派 ★☆☆ 中国明王朝時代の梵鐘

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〒824-0431 福岡県田川郡赤村大字赤上赤963   標高:103.7m 地図 GMAP 0947-62-2235 
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歴史

赤村郷土誌』の光明寺の項によれば、 その由緒は以下の通りである。

白雉年間(650-654)定恵が犢牛岳[1]山中に創建。 創建当時は宗旨・本尊も定めずただ仏教を信仰していた。 大同年間(806-810)、真言宗となる。 寛平5年(893)、阿弥陀仏を安置し瑞光山妙音寺と号す。 その後山中にて寺は大破、大原[2]に移転。当時の住職が真宗に転派。 その時寺号を光明寺と改める。 その後寺を岡本妙見山の麓(現在の地)に移し、山号を妙見山と改める。 嘉永3年(1850)出火し本堂他建物は全て焼失。 その際縁起記録・寺宝・本山からの免状なども焼失する。 時の住職良忍縁が死の直前に良須に口伝。 その内容を慶應年間に縁起としてまとめたという。

境内の鐘楼には裾部分がスカートのフリルのような形状の梵鐘が架けられている。 案内板によれば、 中国明王朝時代の年号、正徳4年(1509)銘のものという(赤村指定有形文化財)。 本梵鐘は文化財として知られていた為、戦時供出も免れたという。 保存状態は良好である。 その梵鐘がどういう経緯で光明寺にあるのかは、残念ながら上記の『赤村郷土誌』には記載されていない。

伊藤氏メモ日本国内に残る中国鐘は20個足らずということで非常に希少価値がある。(「赤村HP:観光スポット」より)()

同じ明王朝時代の梵鐘は、宗像市妙見山 増福院にも安置されている。増福院の梵鐘の裾もやはりスカートのフリルの形状のものである。 こちらもご覧ください。

赤村光明寺(真宗大谷派)。貞享2年(1685)再建・寺号免許。往昔真言宗妙音寺。 (『田川市史』より)

ひとくちメモ

お寺の三方(東南西)は山。北側の門前は広大な田園地帯である。 東側の山には光明八幡宮が鎮座している。

参道口から緩やかな坂の参道を進むと石段がありそれを登ると本堂域である。 鐘楼は石段を登った左手にある。 梵鐘は、女性的な美しさを感じさせるものとなっている。 本堂は赤い瓦葺きで。大棟には龍の装飾がほどこされている。 お見逃しなく。

写真

  • 本堂
    本堂 
  • 本堂
    本堂 
  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 本堂の鬼瓦
    本堂の鬼瓦 
  • 本堂大棟の装飾
    本堂大棟の装飾 
  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 梵鐘(竜頭部分)
    梵鐘(竜頭部分) 
  • 参道口
    参道口 
  • 参道
    参道 
  • 遠景
    遠景 
  • 門前の田園風景
    門前の田園風景 
  • 喚鐘
    喚鐘 
  • 東隣の光明八幡宮
    東隣の光明八幡宮 

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脚注