天目山
興国寺
[興国禅寺]
曹洞宗
★★★
坐禅
羅漢
無隠元晦
観音祈願大祭
福智山系と上野の田園風景
- 住所・電話
- 〒822-1102 福岡県田川郡福智町上野1892 標高:100m 地図 GMAP 0947-28-3081
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- 年中行事
- 毎年11月第2日曜日:「観音祈願大祭」 -- 千手観音像ご開帳。たくさんの人出で賑わいます。 (その前日夕刻より前夜祭もあります。)
歴史
境内の説明板の内容をほぼそのまま記す。
福岡県指定有形文化財
- 木造元晦禅師坐像(指定番号 彫第四号)
- 紙本墨書興国寺文書(指定番号 書第三号)
- 興国寺佛殿(指定番号 建第四十六号)
當山興国寺は、伝に従えば足利尊氏発願による豊前安国寺の後身という。 古くは天台宗福智寺であったが、嘉暦元年(1326)無隠元晦禅師は時の豊前・豊後の太守・大友貞宗の帰依を受けて再興開山となり、臨済宗となる。 のち、元徳2年(1330)後醍醐天皇勅願所として天目山寳覚寺と号した名刹である。
暦応3年(1340)足利尊氏により安国寺の第一位として安国福城山泰平興国寳覚禅寺と改められ、 天文13年(1544)豊前守護・大内義隆によって曹洞宗天目山興国寺として再興される。
右の如く南北朝以降の名刹として當寺には桧材寄木造り彩色、五眼[1]嵌入による南北朝時代の作である等身大の開山無隠元晦禅師の頂相彫刻がある。 円頂・衲衣袈裟懸けの坐像は、元朝天目山にて 中峰明本国師のもと参禅し17ヶ年の修行を終え師の法を嗣ぎ帰国され、 聖福・建仁・南禅・円覚・建長の名刹に歴住した禅師の風貌をよく伝えている。
また、當寺の歴史を徴する古文書として、足利尊氏・同直義・同義持・大内盛見・同義典・ 同義隆等の書状をはじめとして、南北朝より室町時代の中世文書、江戸時代小倉藩細川幽斎、 小笠原忠雄の文書等計24通(巻本二巻仕立)がある。
佛殿(観音堂)は享保4年(1719)の建築で質素なつくりが禅宗建築の特徴を示している。 柱などに建築当初の部材が多く残るほか、ひさし状に張り出した裳階を巡らす建築は県内でも 少なく貴重である。
なお、附石註一基は建設の期日を示し貴重である。
福智町教育委員会
伊藤氏メモ足利尊氏は後醍醐天皇との抗争に破れ九州に逃れていたことから、当寺の境内には尊氏が身を隠したという洞穴や、戦勝を祈願して植えたという「墨染の桜」がある。(Links① より)()
興国寺の詳しい歴史・寺宝などが福智町の公式ホームページに記載されている。こちらも併せてごらんください。
ひとくちメモ
興国寺は福智山の南西の山裾の街上野のはずれに伽藍を構えている。 上野は「上野焼」の里でもある。に最初にお参りしたが、静けさの中で突然の蝉しぐれ。 久しぶりの体験であった。 旧参道も残っている。当ページの下部に別立てで掲示する。
宮若市黒丸の清水寺とも縁のある寺院のようである。
興国寺より2kmほど曲がりくねった舗装されている坂道を登った所には、福地中宮神社、白糸の滝がある。 白糸の滝は古くは「梵音の滝」と呼ばれ、滝の両サイドには不動明王の石像があり、修験者の修行する場であったと思われる。
にもお参りしたおり、山門脇の境内の案内図を見ていると、西側の小山の中に「観音寺城」という城跡があるということが分かった。 ひょっとすると興国寺は中世戦国期はこの城の一部であったのではなかろうか? ヘビのいない秋以降にその城跡にも行ってみよう。
写真
仏殿(観音堂) - 享保4年(1719)築造。無隠元晦が京都より招いた千手観音像が厨子の中に安置されている。同観音像は「尊氏の守り本尊」との説もあるという。 山門楼 - 築年は作者は不詳であるが二層の屋根、両サイドの古風な白色の文字。禅寺らしい雰囲気をかもしだしている。県内でも有数の格調高い山門と言える。 墨染の桜 - 南北朝時代、九州に敗走した尊氏は、ここでつぼみのついた桜の枝を切り、逆さに地中に差して、今後の再起を占ったと伝えられている。 観音堂入り口 大師堂 本堂の扁額 鐘楼 - 右手は山門 山門樓の扁額 山門楼と境内をつなぐ石橋(池は「浄心池」という) - 左手が山門 本堂と庫裡の間にある、木板と喚鐘 - 左手が山門 本堂 - 山門樓より撮影 山門楼 - 境内より撮影 本堂 - 正面が庫裏 本堂屋根の小笠原氏の家紋(三階菱) 山門樓屋根の小笠原氏の家紋(三階菱) 本堂裏手の杉林(画面中央下にポツンと墓碑) 境内風景(手前から大師堂・観音堂・本堂・庫裏) 興国寺から眺める上野の街の風景 本堂脇にネコちゃんがいました 本堂前でくつろぐネコちゃん 開山堂に安置されているといわれる無隠元晦の木像。南北朝時代の作という。
旧参道
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旧参道の参道口は県道62号線の脇にある。 大正13年銘の門柱が建てられている。
そこから250mほどなだらかな坂道を登れば、旧山門にたどり着く。 旧山門から山門楼へは約200メートルほどの古道である。
参道左側の崖には多数の羅漢像が鎮座されている。右手にはツツジの大株が群生している。 春には見事な花を咲かせる。
参道の途中には尊氏が身を隠したといわれる隠れ穴が墓地の中にある。
二重屋根の山門楼をくぐると池があり、その上に架けられた石橋を渡ると本堂である。しぶい。
旧参道は、後半部分は車の通行は不可。
白糸の滝
白糸の滝は古くは「梵音の滝」と呼ばれていた。
山伏の行場で、ぱろ。稲作に関連した龍伝説も残る。
芭蕉の高弟・志太野坡(1662-1740)は「投入て瀧見顔なり折躑躅」の俳句を残している。(以上 境内の案内板より)
関連ページ(※歴史的に過去に関連していた神仏施設他も含めています。必ずしも現在関連しているとは限りません。)
周辺のスポット(4km以内)
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Links
①『福岡県の歴史散歩』
②[W]古刹に宿る伝説と守られた寺宝
③[W]興国寺開山、無穏元晦の志
④[W]よみがえった千手観音