仏旗 法光寺(ほうこうじ) 真宗大谷派[未1]  HOUKOUJI TEMPLE

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〒826-0042 福岡県田川市川宮1385 標高:30m MAP GMAP 0947-42-2388 
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歴史

Linksのページの情報を総合すれば、明応7年1498、福岡県京都郡苅田町新津の地に井上民部(順覚)・刑部(順誓)父子[1]が「井上法光寺」を創建、開基は天然浄祐[2]和尚。

天正8年1581、井上法光寺4世順西は、新津の門徒を舎弟の明願に譲り、田川郡弓削田(現在の地)に移転。法光寺を創建、現在に至るという。 新津に残った寺は現行橋市の眞念寺の前身である。

山門は宝暦4年1754の建立という。

伊藤氏メモ境内に入ると左側に石碑があり、その石碑の正面には「寂光」、右側面には「朝鮮人炭坑殉難者之碑」と書かれている。 これは、法光寺対岸の鈴木炭鉱や田川地区の朝鮮人労働者の遺骨が寺の床下に放置されていたのを、昭和50年1975、当時の住職が見つけ、檀家や朝鮮総連田川支部と話し合い、供養のため慰霊碑を建て納骨したものである。

その解説板には、「1910年、日本は朝鮮半島を統制下に治め、以後1945年の敗戦まで植民地として支配を続けました。 特に、1931年から日本が行った15年戦争のために国内の労働力が不足し、この筑豊に於いても石炭採掘の労働力として約15万人の朝鮮人が強制的に連行されてきました。 以後、1945年までの強制労働と劣悪な環境の中で約2万人が坑内事故や病気で亡くなられました。 この殉難碑には、このような苛酷な歴史を生き、祖国の山河や親族に再び会うこともできずに無念の思いで亡くなっていかれた朝鮮人の遺骨が安置されています。 ここに集う者、みな共に歴史の事実を心に刻みたいものです。 [寂光]は、お経の[寂光浄土]いわゆるお浄土の姿を表した言葉です。1975年、法光寺鉱害復旧に際して殉難碑建立以来、絶え間なく各地から参拝者があることを鑑み、ここに改築して永代の供養に付し、あわせて日朝・日韓の親善と国際社会の平和を希うものです」とある。

筑豊の朝鮮人強制連行の跡が、炭鉱の閉山と共に忘れられていくなか、このように心ある人々によって、殉難者の遺骨が手厚く供養されていることは特筆すべきことである。

        (『九州の戦争遺跡』より) ()

ひとくちメモ

未参拝の為未稿。



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