法輪寺跡
[法輪禅寺跡]
黄檗宗
☆☆☆
鉄文
伊藤氏参拝済
歴史
寛文9年(1669)の開山。開基は立花内膳家2代当主、種俊。開山は鉄文和尚。 以来立花内膳家の菩提寺となる。 立花内膳家の祖(種俊の父)、立花内膳正俊は第2代柳川藩主立花忠茂の実兄である。 現在は廃寺[1]となっている。(Links① より)
現在は、歴代三池藩主の墓地のみが残っている(大牟田市指定文化財)。 案内板によれば、境内には、2代種長、3代種明、4代貫長、5代長煕、 の墓碑があり、 さらにその奥の一段高い平坦部には藩祖直次とその父紹運の五輪塔があるという。
ひとくちメモ
境内は3つの平坦面で構成されている。 ①普光寺の参道から坂を登った場所、②そこから一段上の場所(三池藩主の墓所)、③さらに一段登った場所(紹運・直次の墓所)である。 ①には案内板(昭和57年 大牟田市教育委員会)が設置されており墓碑の配置が文章で記されている(これが図で示されると猶良いのであるが。。。)。 同じく①には「弁慶の足跡」と記された手水のような石がある。 墓碑の保存状態は良好である。綺麗に清掃もされている。
に普光寺の臥龍梅を観て、 紹運寺に向かう途中に偶然発見(ラッキー!!)。 案内板をざっと読み、ここも紹運に関連する場所であるようなので境内をひと通りまわって写真撮影だけして次の紹運寺に向った。 福岡市に日暮れ前に戻る時間が気になり、案内板をよく読まなかったので多数有る墓碑の主が誰であるか確認できなかった。 自宅に戻り、撮影した案内板をよく読むとここもお寺があったという。 と、いう事で本ページを急遽作成することとなった。