heritage 宇今山實成院(うこんさんほうじょういん) 普光寺(ふこうじ) 天台宗 ★★☆ 坐禅 臥龍梅 伊藤氏参拝済 普光寺並定林寺石仏群 九州西国霊場第15番札所 百八観音霊場第90番札所 筑後三十三箇所観音霊場第24番札所

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〒837-0922 福岡県大牟田市今山2538   標高:116.6m 地図 GMAP 0944-54-8403 
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歴史

伊藤氏メモ寺伝によると、当寺の創建は弘仁14年(823)。 三池氏の祖である三毛(みけ)中納言源師親(みなもとのもろちか)卿が開基、 開山は慈覚大師円仁と伝えられる。承和5年(838)に慈覚大師円仁が入唐求法のため大宰府の観世音寺に滞在していることを聞いた師親卿は、礼を尽くして慈覚大師円仁を迎えて当寺の開山法印になってもらったという。

こうして栄えた普光寺であったが、建久3年(1192)の三池山大地震で堂宇は全て破滅した。 鎌倉時代の当寺の維持整備には、三池南郷の地頭として鎌倉から下向した中原安芸氏(後の三池氏)が深く関わり、庇護していたことが境内に残る石塔群や五輪塔から分かる。 また、本堂の金剛力士像から見つかった胎内墨書は、三池氏代々の深い帰依を伝える。

近世に入り慶長10年(1605)に筑後太守田中吉政公が田などを寄進し、昌海法印が当寺を再興した。 元和7年(1621)幕府代官松倉重政はそのまま安堵、延宝6年(1678)三池藩2代藩主立花種長公が寺領を寄進するなど、盛衰を繰り返しつつも、概ね時の支配者から保護され、比叡山延暦寺の末寺として今日に至っている。(『筑後の寺めぐり』より)()

『新版 福岡県の歴史散歩 (新全国歴史散歩シリーズ)』によれば、 本堂内には木造薬師如来坐像(平安末ないし鎌倉初期の作・高さ91.7cm・福岡県文化財)、 木造慈覚大師坐像(正長2年(1429)作・元亀2年(1571)、天正12年(1584)修理・高さ51.3cm・福岡県文化財)、 境内には不動明王板碑(南北朝中期・願主:藤原助継・高さ70.5cm・福岡県文化財)、 梵字阿弥陀三尊板碑(天正5年(1577)銘・福岡県文化財)のほか石塔群(三池山麓に散乱していた石塔群(五輪塔・宝篋印塔)を集め、 定林寺の石塔群とあわせて「普光寺並びに定林寺石塔群」として福岡県の文化財に指定)、臥龍梅[1](樹高2.5m、枝の広がり22m、樹齢350年・福岡県天然記念物)がある。

ひとくちメモ

この梅の花には驚く。 作者が今まで観た中で数・美しさ共にナンバーワンである。 梅の花は麓の参道両脇の民家にも多数観られる。是非一度ご参拝あれ。 境内からは大牟田市内の風景も望むことができる。

境内には、観音堂(本堂)・十三仏堂・鐘楼・不動堂・(なまず)堂などがある。 石塔群のある場所への登り口は観音堂脇にある。 梅の時期は閉鎖されているようでそこには登る事ができなかった。残念。

境内の案内板によれば、1月はロウバイ(蝋梅)、1〜3月が梅、 4月はシダレザクラ、5月はナンジャモンジャ・シャクナゲ・ツツジ、 6月はアジサイ、 9月はヒガンバナ、 10月はツワブキ、 11月はドウダンツツジ・モミジ・イチョウなどを楽しむことができるようでる。

写真

  • 観音堂(本堂)遠景
    観音堂(本堂)遠景 
  • 観音堂(本堂)の扁額
    観音堂(本堂)の扁額 
  • 石塔群
    石塔群 
  • 十三仏堂
    十三仏堂 
  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 観音堂(本堂)前の石仏群
    観音堂(本堂)前の石仏群 
  • 不動堂
    不動堂 
  • 不動明王板碑
    不動明王板碑 
  • 癜(なまず)堂
    癜(なまず)堂 
  • 癜堂内
    癜堂内 
  • 境内風景(正面は社務所)
    境内風景(正面は社務所) 
  • 境内風景(左手は鐘楼)
    境内風景(左手は鐘楼) 
  • 参道の石段
    参道の石段 
  • 参道の梅
    参道の梅 
  • 参道の梅
    参道の梅 
  • 境内の梅
    境内の梅 
  • 境内の梅
    境内の梅 
  • 境内の梅
    境内の梅 
  • 椿寒桜
    椿寒桜 
  • 梵鐘
    梵鐘 
  • 通行券
    通行券 

関連ページ(※歴史的に過去に関連していた神仏施設他も含めています。必ずしも現在関連しているとは限りません。)

脚注