摂取山
光楽寺
浄土真宗本願寺派
☆☆☆
小保・榎津の町並
- 住所・電話
- 〒831-0041 福岡県大川市小保134 標高:6.9m 地図 GMAP 0944-87-5913
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歴史
伊藤氏メモ伊予国の城主の子孫・河野善海が両親菩提のため本寺を開基。寛永元年(1624)、旧藩主立花宗茂が寺堂を創建。寛永3年(1626)東本願寺より蓮心寺の寺号を許されたが、寛文(1661-1673)の初め西派(浄土真宗本願寺派)に帰依し、寛文9年(1669)今の寺号となった。(『大川市誌(昭和52年)』より)()
旧吉原家住宅(上使御本陣)や浄福寺(御目付本陣)などとともに天保9年(1838)幕府の巡検使の御本陣下宿に充てられた。 本堂は庫裡と一体となった堂庫裡形式。本形式の寺院建築は小型のものがほとんどで、当寺のような大型のものは県下でも珍しいもの。(門前の案内板(大川市教育委員会)より)
本堂には北島勝永(号は幽谷勝永)(1795-1867)の印(万延元年(1860)銘)があるものをはじめ168枚の天井絵がある。(境内の案内板(大川市教育委員会)より)。
町名「小保」は「こぼ」と読む。藩政期は当寺は柳川領であった。寺の裏(東側)を流れる御堺江湖(水路)は久留米藩領との境界線である。御堺江湖の東は久留米藩であった。
旧地名:三潴郡大川町大字小保字舟津。(以上 『新考三潴郡誌』第3編第7章より)
当寺の西隣には旧吉原家住宅がある。こちらもお見逃し無く。
ひとくちメモ
二層式の本堂。本堂と一体となった庫裡の白壁が美しい。本堂の前には手入れの行き届いたキンモクセイ・ソテツなどがみられる。
門前の通りは昔懐かしさを感じさせる風情である。
イベント情報(今日から1年間)
○主催者などに事前に確認の上、参加下さい○
日時 | 内容 | 備考 | 状態 |
---|---|---|---|
2023-12-31(日)〜2024-01-01(月) | 除夜の鐘 | 23:30〜01:00 | 確定 |
写真
旧吉原家住宅
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当住宅は柳河藩小保町の別当職や蒲池組の大庄屋格、大庄屋を歴任した吉原家の居宅。 母屋の建立は文政8年(1812)と考えられる。 伊能忠敬は文化9年(1812)10月に二度にわたって止宿。天保年間(1830-1844)に幕府の巡検使にも利用された。国指定重要文化財。(頂戴したパンフレットより)
、当光楽寺を参拝を終え旧吉原家住宅の門をくぐる。 ちょうど、先客が見学を終えて帰るところだった。説明員の女性の方に声をかけられ「お時間はどれくらいいただけますか?」といわれ「10分程度」と返す。 説明員が「どうぞお上がり下さい」と云われるままに靴を脱ぎ宅内へ。
宅内は日本建築の粋を集めたと思われる造作。板の張り方をはじめ、建築関係の専門用語を交え、宅内の説明がポンポンと丁寧に説明されてゆく。 10部屋ほどの宅内にはよく保存された宝がぎっしり。ついつい長居をしてしまった。 宅内見学者は作者一人。説明員さんを独り占めで有意義な勉強をさせて頂いた。 ド素人の作者のつまらない質問にも丁寧に応えて頂いた。冷え込んだ宅内で長時間のお付き合い。感謝感謝。 その説明員さんは年の頃は40歳台。色白で笑顔が素敵な方でした。
最初は外からちらっと見学する予定だったが予定滞在時間=10分。実績滞在時間=1時間10分。
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Links
①藩境のまち 『人物紹介』光楽寺住職 #okawa #yanagawa : 藩境のまち 肥後街道 ~小保・榎津の町並み~