萩戸山
圓了寺
[円了寺]
真宗大谷派
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- 〒831-0021 福岡県大川市大橋496 標高:6.9m 地図 GMAP 0944-86-2708
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歴史
伊藤氏メモ文禄2年(1593)、肥後国本山城主・鬼塚肥前守藤原武照の子孫・式部卿が出家して了証と号し本寺を開基。
境内に[ものいりかぶりさん]と称する石仏像がある。(『大川市誌(昭和52年)』より) (2022-09-21)
旧地名:三潴郡木室村大橋ハタケの内。(『新考三潴郡誌』第3編第7章より)
ひとくちメモ
未参拝の為、未稿。
ものいりかぶりさん
伊藤氏メモ本堂の左手に一本の大きな松の木があり、その周りの竹藪の中に祭ってあるお地蔵さんには、次のような話が語り伝えられています。
文禄2年(1593)のこと、肥後の国(熊本県)の式部卿という武将が戦いに敗れ、敵兵に追われて命からがら、この地に落ち延びてきました。
方角も分からず、道をとぼとぼ歩いていると、背後で足音がし、振り返ると追っ手がすぐそこまで迫って来ていました。もはやこれまでと、式部卿は近くの竹藪に逃げ込み、息をひそめていると、敵兵の足音がだんだん近くなり、「いたぞ!」という声に続いて、刀を振り下ろす音が聞こえました。そして「確かに討ち取った。引き上げろ」という声がしたかと思うと、足音はしだいに遠のいていきました。
なにしろ昼間でも暗い竹藪の中のことですから、式部卿は何がどうなったのかさっぱり分からず、手探りで声のした方へ行ってみました。そこには肩から胸にかけて斜めに切られたお地蔵さんが横たわっていました。敵兵はこのお地蔵さんを式部卿と間違えたのでした。
お地蔵さんが身代わりとなって自分を救ってくださったのだと深く感謝した式部卿は、この地で一生を終えようと決心し、出家して圓了寺を開いたのです。
以来、このお地蔵さんは身代わり地蔵として信仰を集め、いつの頃からか、信者がかまどで周りを囲み、その上に、ものいり(豆などをいる素焼きの浅い土鍋)をかぶせて夜露をしのげるようにしました。
そして、願いごとがかなえられると、新しいものいりを奉納するのが習わしとなり、誰とはなしに、このお地蔵さんを「ものいりかぶりさん」と呼ぶようになったということです。
(以上 Links① より引用)(2022-09-21)
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